先生は神様からユーモアのセンスを与えられ、又聖書という難解な書物をご自身の毎日の何気ない生活や体験にあてはめ語られるのでわかりやすく、2000年を越えて聖書が生きていると感じました
聖書は「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい」と「古い人を脱ぎ捨て新しい人を身につける」でした。
子どもの頃、お正月にはまずお風呂に入り下着からすべて新しい服に着替える習慣があった。玄関先のポストに行こうとして転んでしまい、折角の服が汚れ破れてしまった。がっかりしている私に、母は「もう一度お風呂に入り着替えなさい。」私たちが汚れや破れで失敗しても、神様は何度でもやり直しを許され新しい人としてくださる。これが愛。
85歳のゴミ屋敷のクリスチャン女性は、不必要な物を家中にため込み捨てることができない。物によって孤独をまぎらわせ、生きている意味を物に求めている。天国には何も持って行けない。いらない物を捨て、神様に従う新しい人に。
オーストリアの山岳郵便バスには重荷を負った人のための丸椅子の席があり、実際に行商等などの重い荷物を負ったまま目的地に連れて行ってくれる。
タクシーは客がいないとただ空しく回っているだけ。しかし一旦客を乗せると行き先が決まり、目的地に向かう。私たちもイエスキリストという行き先を得て、これまでの虚しい行き方を捨て、神に信頼して従ってゆく新しい人を目指そう。(※『初夏の集い』の様子は写真館をご覧ください)
|