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今月の御言葉

わたしについて来なさい
マタイによる福音書4章12〜25節

 教会では、2013年度の年間主題を「伝道」としました。

 キリストのみ体である教会の肢々とされた恵みに応えて、心一つとなって「伝道」に集中し歩んで来ました。この後も忘れてはならないのは、神から召し出された教会共同体としての存在意義が伝道にあるといわれるほど伝道の働きは教会の生命線となるものです。まさに、「おりを得ても得なくても、御言葉を宣べ伝える」ことにかかっているわけです。伝道は、教会に生きて働かれる主なる神のみ業です。その働きに信頼して従い応えることが、わたしどもに問われていることでもあります。

 あたえられたみ言葉のマタイによる福音書4章には、教会の伝道の先駆けとなる、公生涯に入られた主イエスの伝道のはじめについて記しています。

 12節に「ヨハネが捕らえられた」と言われています。この「捕らえられる」という言葉は、弟子たちに3度伝えられた受難予告の「人の子は祭司長、律法学者たちの手に渡される」と同じ言葉です。聖餐式の制定語で「主イエスは渡される夜」と読まれる、死に追いやる者の手に渡され、十字架の死に繋がる重要な言葉です。ヨハネの捕らわれとその後の死は、主イエスの先駆者としての働きを明らかにするものでもあります。

 ヨハネが捕らえられた後、主イエスは「ガリラヤへ行き」神の福音を宣べ伝えた」と言われています。主イエスは、信仰の中心地エルサレムではなく、なぜ問題の多い異邦の地ガリラヤを選ばれたのでしょうか。「それは、預言者イザヤを通していわれていたことが実現するためであった」と聖書は15節で言っています。「ゼブルンの地とナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ」と。この地方は絶えず移民即の侵略によってユダヤ人の血を汚す雑婚が行われ暗黒の地と言われました。しかし、イザヤはガリラヤの民は大きな光を見るようになる。死の陰の中に住む者に救いの光が射し込むと預言した。この預言が、まさに主イエスがガリラヤ伝道を開始する事によって実現したと、マタイは記しています。

 主イエスの「悔い改めよ、神の国は近づいた」との呼びかけに最初に応えたのは、後に教会の指導者となる4人の弟子たちでした。「わたしについて来なさい。人間を獲る漁師にしよう」という招きを受け、4人とも「すぐに網を捨てて、イエスに従った」と言われています。これまでの生活の糧をおく方向転換をすることです。教会とは、十字架と復活の恵みの神のご支配に一切を委ねて生きる共同体です。その教会に連なるわたしどもは、主イエスと共に働く神の国の働き人であります。わたしどもの日常の生活に飛びこんで来られて「わたしについて来なさい」と言われます。イザヤ書46章4節に「わたしはあなたたちを老いる日まで白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す」と、主に従う大事なことがここに記されています。わたしどもの人生の終わりまで、神が、主ご自信が担い、背負って救いの責任を果たしてくださると言っておられます。この主に全てをお任せして従う者の確かな喜びが語られています。( 牧師 丸田 久子)



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■安田 志峰

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