2013年秋号より ←前へ   次へ→
今月の御言葉

<第一戒>まことの神を神とする
 十戒の第一の戒めは、「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」と言っています。それは、ただ唯一の神のみを神とし、他のなにものも神としてはならないということです。「神とする」ということは、神を「畏れ、愛する」こと、そして、「あがめ、信頼し、祈り、感謝する」ということです。神以外の何ものにもそのようにしてはならないことです。ここには、まことの神を正しく礼拝することが求められています。わたしたちの心と生活の中心に神をお迎えすることでもあります。まことの神を神として礼拝し、神に仕える、そのような礼拝者として日々の生活が整えられて神に喜ばれる者とされるのです。わたくしたちは、この戒めに従って正しく神を礼拝して生きるように招かれているのです。

 第一の戒めに先立って神は「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導きだした神である」と言われています。ご自分がどのような神であり、何をなさったのかをここに明らかにされたのです。

 モーセに導かれてエジプトを脱出したイスラエルの民は、さまざまな苦難を経験しながら、敵の手から逃れて約束の地カナンに向かう途上でモーセを通して与えられた十戒は、開放された歩みの道導となるものです。神はイスラエルの民に「わたしは主、あなたの神」あなたの救い手、あなたの慰め手、それはわたしであると宣言されたのです。選びの民イスラエルをエジプトの奴隷から解放されたこの神の愛が、後に独り子イエスを送られて、わたしたちの罪の奴隷から解放してくださったのです。

 神は「あなたは、わたしをおいてほかに神があってはならない」と言われます。わたしたちはこの神に応答してこの方以外にわたしの神はおられないと告白するのです。

 ハイデルベルグ信仰問答の問94で「第一戒で、主は何を求めておられますか」の問いに、こう答えています。

 「わたしが自分の魂の救いと祝福とを失わないために、あらゆる偶像崇拝、魔術、迷信的な教え、諸聖人や他の被造物への呼びかけを避けて逃れるべきこと。」また「唯一のまことの神を正しく知り、この方にのみすべてのよきものを期待し、真心からこの方を愛し、畏れ敬うことです。すなわち、わたしが、ほんのわずかでも神の御旨に反して何かをするくらいならば、むしろすべての被造物の方を放棄するということです」

 ここには第一の戒めの教えが語られています。偶像をまことの神の代わりとすることや、神と並べて信頼を置いて拝もうとする、あらゆる誤りを退けて、ただひたすら唯一の神に信頼し、この方を愛しその御心に正しく従って行く、それは神が創造されたものに、正しく関わりを持って生きようとすることでもあります。神にのみ依り頼んで、ただひたすら、神の名前を呼び続ける、それが新しくされた者の自然な姿なのです。それ以外に生きる道をもたないのです。それゆえに、与えられている救いと祝福を失わないように、わたしの祝福の中に立ち続けるように、そのように言われます。

 この教えをわたしたちへの神の愛の言葉として受け止めるなら、わたしたちはこの戒を守らざるを得ないのではないでしょうか。( 牧師 丸田 久子)



教会員の投稿
■平岩継生兄 信徒の証し礼拝

「イザヤの壁」が示す平和の構築

 聖書は人を救いに導く書です。しかし救いに関心を持っていなくても、心の癒しや生きる希望を・感動を覚える書でもあります。

 丁度20年前の1993年春5月国連カンボディア暫定統治機構(UNTAC)の一員として初めてカンボディアの地に降り立ちました。インドチャイナコンチネンタルの一角にあるカンボディア王国はお隣のベトナム戦争のあおりを受け1970年から約4世紀内戦が継続され、地域紛争の時代を経てソ連社会主義国の崩壊を受け、米ソ2極体制が米1極体制移行をはじめ1極が介入する武力行使になりかねない状況よりは武力行使を伴わない国連のPKO(平和維持活動)が好ましいという理由により、時のフンセン・チアシムが指導者であったプノンペン政権並びに反プノンペン政権3派(シアヌーク派・ソンサン派・クメール・ルージュ派)の間にようやく和平の兆しが生まれてきた折でもありました。この間特にクメールルージュが政権を担ってきた1975年4月17日から1979年1月7日までの3年9ヶ月の間は、ポルポト時代とも呼ばれご存じの方も多いカンボディア大虐殺が世界から隔離された中で行なわれ全人口800万約人の内、150万人から180万人とも推測された人々が同じカンボディア人の手によって殺戮された悲惨な時代を送っていました。インドシナ半島の和平を目指すためのPKO活動(UNTAC)は1956年スエズ運河シナイ半島から始まって21件目の平和構築のための国連の活動でした。そして1992年3月15日。時の日本人初の国連事務次長明石康氏を代表としてUNTAC(暫定統治機構)が発足し93年9月までの間、内戦終結後の恒久的平和政権を構築することを目的としたPKOが発足活動の展開が始まりました。

 この「国連」ニューヨーク本部前の広場にある壁には、先ほど司会の方に代読戴きました旧約聖書イザヤ書2章4節が刻まれています。この壁が、イザヤの壁として世界に平和構築を呼び掛けています。「彼らはその剣を鋤に・・・」この聖句が国連の目指す世界平和の大きな目的の一つにもなっています。この聖句を国連広場で見つめた時、それまで奉職していたYMCAの働きから具体的によりおおきな働きで平和構築に貢献すべきとの思いから国連へ身を投じた神様の大きな導きであったと想います。

 旧約聖書すなわち預言の書には罪を許さない神の厳しさと怒りを知りますがさらに大きな神の愛を知ることができます。

 「国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを学ばない」神様の大きな導きによってここカンボディアでも人々は渋しぶではなく自分の意思を以って積極的に争いを放棄し、平和への強い意志を持ったのです。それが99.8%という信じられない制憲議会選挙への投票率となって実現しました。そしてあれから20年。今ではカンボディア王国は首都プノンペンには高層ビルが立ち並び、アンコールワットには今日も多くの外国人観光客が訪れるようになりました。平和が定着したのです。

 こうして神様の大きな力によって作り上げられる平和は人と人の間に争いではなく、仕えあう関係から生まれます。初めは人同士の小さな平和ですが、それが集まってより大きな平和となり、民族や国の平和へと繋がっていきます。この神の言葉を具体的に実現する場所。そこが教会です。多くの人々が「神の言葉」を求めて集まる場所、そこが教会であると信じています。その教会でこそ、ヨハネによる福音書17章21節「みんなのものが一つになるために」大きな働きが具現化されるのではないでしょうか?神が支配する平和。それは教会から始まります。「彼らはその剣を鋤に、槍を鎌に打ち直し国は国に向かって剣を上げず二度と戦いのことを学ばない」キリストによって、このみ言葉は実現するものだと固く信じています。

 祈ります…

■安田 志峰

川柳3 川柳3 川柳4 川柳4

トップページへ