2011年5月から掲載してきた使徒信条の解説は「身体のよみがえり、永遠の生命」で終わりを迎えています。前回のところで、「罪の赦し、身体のよみがえり、永遠の生命」を信じることは、三位一体の神への信仰のあるところには告白されるべきものと話しました。罪の赦しは全ての人の救いです。その救いが死に勝利した完全な救いであるなら、罪の責任を問われることなく永遠の命に導かれる救いなのです。救われるためには、主イエス・キリストの恵みが必要です。
イエス・キリストの罪の赦しと死の勝利をよく知りその恵みを確信することについて、「身体のよみがえり」を信じる、というものがあります。
わたしたちの身体を造っているのは、肉体と霊とか、体と魂といった二つが結び合って身体の存在をなしています。肉体や体はやがて滅んでいくものですが、それに対して肉体に住まう魂は不滅だという考え方が教会の外にあります。しかし、聖書で「身体のよみがえり」と言っているのは、肉体だけのよみがえりではなく、霊と肉が共によみがえると言うことです。人間の存在すべてがよみがえることです。創造主なる神が、一人ひとりの身体を慈しみ深い御手によって造られ、地上の終りの時に、その体の処置に心をこめられ、死の後も重んじてくださるのです。今生きている体を粗末にしない生き方であるよう望んでおられるのです。
この「身体のよみがえり」は罪の赦しによって与えられるものです。生命あるものは、やがて死を迎えます。生命とは本来、いつまでも生きる生命です。その生命に罪が入り死が始まったのです。しかしその、罪が赦されるとき、はじめて死で終わらない、永遠の生命に連なるものとなるのです。ガラテヤ信徒への手紙2章20節に「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」と言われ、コロサイの信徒への手紙3章3節に「あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内にかくされているのです」と言われているように、罪赦されたものは、キリストによって生きているのです。キリストの復活によって、その生命を、死によってではなく、永遠の生命によって、全うすることを許されるのです。永遠の生命は、この世の生活の歩みの内に、聖霊によって保証として与えられています。キリストは、終わりの審きの日にも、わたしたちの罪をとりなし愛を示してくださるお方です。( 牧師 丸田 久子)
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