2012年冬号より ←前へ   次へ→
今月の御言葉

使徒信条(12)「罪の赦し」
 使徒信条は、ここまで父なる神、独り子なる神を語り、そして聖霊なる神では、聖なる公同の教会、聖徒の交わりについて語り進めてきました。そのおわりに、罪の赦し、身体の甦り、永遠の命を信じると言っています。これらのことは、父、子、聖霊の神への信仰のあるところには自然に語られるべきことです。

 今回の学びの「罪の赦し」は、人間を救われるためになされたキリストの尊いみ業によることです。神の独り子が、捕らえられ、ポンテオ・ピラトに審かれ、十字架につけられ、復活して天に昇られたことのすべては、人間の罪を赦されるために歩まれた苦難の道であります。

 「罪の赦し」とは、聖霊なる神を信じた者に具体的に与えられる神のみ業でもあります。救われてキリストの体である教会の部分とされた信仰生活の中で罪の赦しを信じ、それを保証されたことを感謝しながら生きる恵みに与ります。それは身体のよみがえりと永遠の生命を確信して死から開放された喜びに生きるということです。「罪の赦し」という短い言葉の中に、感謝と喜び、慰めのすべてが語られているのです。このような具体的な信仰生活が、聖霊の導きによって与えられているのです。

 わたしたちの信仰生活は、教会生活とこの世の生活と両面に及んでいることから、礼拝生活だけではなく社会や政治の問題に関心を向けて参加することが求められると考えますが、これに対して使徒信条は「罪の赦し」だけしか語っていません。この信条がつくられた当時の社会にも国家権力や奴隷問題があったことが、パウロ書簡のコリントの教会やローマの教会に宛てた手紙で知らされていますが、信条が罪の赦しだけ語っているのはどんな意味があるのでしょうか。それは聖書が、神と人間の関係についてはっきりとした考えを持っているからです。「罪の赦し」の使命を携えてイエス・キリストが世に来られたからです。この「罪の赦し」がなかったとはっきり告げられているのです。

 聖書が最も大切な問題としているのは、神に向き合う人間のことです。この神と人間の関係が「罪の赦し」によって正しくされることを願い信じているからです。私たちの信仰生活は、ただ罪が赦されることにあります。キリストがそのために十字架についてくださり、真の人間として生きる道を開いて下さったからです。 ( 牧師 丸田 久子)



教会員の投稿
■安田 志峰

川柳3 川柳3 川柳3 川柳4 川柳4

トップページへ