■戸田 粋子
「あなた、もう離れられませんから」
主の御名を讃美します。
このように、証の場を与えていただいたことを、感謝申し上げます。
豊田教会にお世話になり始めて、26年以上がたちました。今だ放蕩息子状態の私がここに立つのは、かなり問題ありですが、人前で話しをするのは職業柄慣れていますので、軽くお受けしてしまいましあ。この話を頂いたときは、そもそも証とは何かを全く考えていませんでした。従いまして、霊的に充分な成長をなしていない私ですので、ここでは教会に導かれ、受洗にいたるまでを述べさせて頂きます。
生まれは豊田市で地元の人間です。1963年生まれ。東京オリンピックは1歳のときに開催されています。家には仏壇もあり、両親は先祖供養を大変重視しています。家が貧しいときでも、まずお墓を買って先祖供養をしてきたことを、小さいころからよく聞かされてきました。
さて、私が教会に通うようになったきっかけですが、大学3年の時、寮を出て、アパート探しをしていました。ちょうどよい部屋が見つかり、入居したところ、2階の住民はみんなクリスチャンであった、これが今日、ここに自分がいる最大の理由です。入居してすぐ、「歓迎会をするから来て」と言われ、のこのこと隣のお部屋にお邪魔し夕食を頂きました。「戸田さんが来る前から、ずっと『いい人がくるといいね』ってみんなで祈ってたんですよ」と言われたのを、今でもよく覚えています。その後、食事や教会での映画会や青年部の集会、コーラス、講演会などもよく誘って頂きました。礼拝に出る気があろうとなかとうろ、呼びにきて下さったので、行かないわけにはいかないし、家庭集会には、毎週夕食をご馳走して下さったので、それに吊られて参加していた状態でした。また三浦綾子さんの本は、押し付けられるように、貸して下さいましたが、これがまた面白く、それまで読書など全くといっていいほど関心がなかったのですが、三浦綾子さんの本だけは、たくさん読むことができました。
洗礼を受けるに際しては、これも何も深く考えていない状態で、「早いほうがいいじゃん、どっちにしろクリスチャンになるんだから」といった感じでした。受洗が許されるという感覚ではなく、主語は自分で、自分が選んだような気になっていましたから、信仰的にも全くの未熟者の状態です。豊田教会に来てわずか1ヶ月半で受洗させて頂けたのですが、よく許して頂けたと思います。この早い時期の洗礼にも、神様の深いご慈愛があったのだと思います。もし、「まだ教会に来たばかりだからまだ早すぎる」とか「もっとじっくり勉強してもらって」、または「まだ、1ケ月では、どんな人物かすらはっきりしていない」ということで、「しばらく求道生活の様子を見てから、役員会にかけましょう」、などということになって伸ばされていたら、きっと求道生活もだらだらと過ぎ、仕事と部活動と自分の競技に明け暮れて、多分自然消滅のような形で、徐々に来なくなり、今この場にはいなかったと思います。今でもそうですが、心は放蕩息子状態ですが、「神様との契約だから、教会には行かないとね」という状態でかろうじて繋がって、現在に至っています。それにしても「中澤牧師とその当時の役員さんは、なんと思い切りのよい決断をされたのだろう」と、ここ数年役員の仕事に関わらせていただくようになって、改めて感じております。普通では、ありえないように思います。
今、受洗を迷って見える方、いらっしゃいますよね。受洗って、聖書の勉強がしっかりできていて、知識も十分、信仰生活も充実させて受洗に至るのが筋とは思いますが、私のように順番が逆で、信仰も整わないまま、先に神様に「あなた、もう離れられませんから」って捉えて頂いて、いまだ発展途上のまま何十年も過ごしている人間もここにおります。「受洗を迷うくらいなら、迷っている時間がもったいないですし、早く1歩踏み出しましょう」と言うのは、軽すぎると怒られそうですが、すでにここに見えている方は、神様が選んで導いて下さっています。「あなた、もう離れられませんから」って早くがっちり神様に捕らえてもらって下さい。さらなる神様のお導きがありますように。
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