2011年6月号 ←前へ   次へ→
今月の御言葉

使徒信条(1)「我は・・・信ず」
使徒信条には、「我は・・・信ず」と言う言葉が繰り返し語られています。父なる神とその創造のみ業について、御子イエス・キリストとその救いのみ業について、そして聖霊なる神への告白とその救いのみ業について語り、その前後に「我は・・・信ず」を加えて、信じる対象である、父なる神、み子なるキリスト、聖霊への信仰を言い表します。

 信仰告白は、「わたしが信じている」ことは何か、それをどのように信じているかを、はっきり言いあらわすことです。だれはばかることなくこのように信じているとはっきりと語る、信じる側の個人的な決断によります。しかし、だれが何と言おうと聖書に書かれているのだからわたしはこう信じるという信念のようなものではありません。そうではなく教会が受けついでいる信仰を、自分も受け入れるということです。教会が、あなたはこのように信じますかと問うのに対して、わたしは信じます、と答えることが、「わたしは信じる」ということの、ほんとうの意味です。それならば、「我は」「わたしは」というより「我々は」「わたしたちは」のほうがふさわしいのではないかと考えると思います。「エクレシア5月号」にも書きましたが、この使徒信条は、洗礼式に用いられた経緯があります。教会が信じている信仰の内容を受洗教育で学び、洗礼入会式のとき「あなたは・・・信じますか」と問われたとき、「わたしはそのとおり、信じます」と告白してきました。ここでは、「わたしひとり」の信仰が問われています。教会が問う信仰は、聖書に記されていることによって教会が伝え続けてきた信仰であって聖書の信仰に基づいたものなのです。信仰者たちが長い教会生活の中で、聖書から得てきた救いの証しなのです。救われたいと願う者が信じるべきこととして確信をもってまとめたものが信条です。これは、むかしから教会の旗印だと言れてきたものです。

「わたしは信じる」信仰の内容は、ただ覚えることではありません。信仰の内容を、自分のものにしてイエス・キリストを信じて救われることです。このキリストに救われるために、神についても、キリストについても、聖霊についても正しく教えられなければなりません。「わたしは信じる」とは、キリストをわたしの救い主と信じることです。信頼することです。わたしども罪人のために、神がしてくださったことを信じることです。わたしどもが信仰告白する使徒信条は、その神への信頼を、言葉に言い現したものです。

( 牧師 丸田 久子)



教会員の投稿

■安田 志峰

川柳1 川柳2 川柳3


川柳4 川柳4

トップページへ