2011年5月号 ←前へ   次へ→
今月の御言葉
2011年度の教会の主題を「教会」としました。教会は、礼拝に集うわたしたちの信仰によって形作られ、また、わたしたちの生活もそれによって決まってきます。この大切な信仰についてわたしたちの教会はどのように信じているのでしょうか。これに答えるためには、協会を導かれる神、キリスト、聖霊について知る必要があります。

 教会は、信仰の基準とも言うべき信仰告白を礼拝の中で唱えています。新約聖書に記されている教えが完結に要約されている使徒信条によって振興を告白しています。この信仰告白は、教会の一致のしるしでもあります。個々の教会は共通の信仰を持ち、告白する教会と共に主イエス・キリストの体の一部となって、共同体を形成するのです。

 使徒信条が、現在の形になったのは紀元八世紀頃のことですが、その基盤と見られているのは古ローマ信条です。古ローマ信条は、洗礼と結びついて用いられ、キリスト教信仰の書記の定式として二〜三世紀初頭にかけて、既にローマで用いられていたと考えられています。ローカルな洗礼信条として、いったんローマを離れて整えられ、再びローマに受け入れられ、教会の正当な信仰を言い表し、洗礼を受ける前の受洗者教育とともに正しい教理を信条の形成によって確立することを目指してきました。

 使徒信条は、中世の西方教会で受け入れられ、さらに十六世紀の宗教改革者たちtによって用いられました。そして今日、ローマ・カトリック教会そしてプロテスタント教会によっても用いられている信仰告白です。

 使徒信条と言う呼び名は、教会形成の中核となった使徒たちが語った信仰の教えから来ています。使徒信条は新約聖書の教えを要約していてキリスト教信仰を明確に理解するためには、この上もない助けとなるものです。

 使徒信条は、教会が攻撃にさらされたり、あるいは害のない新奇なものとして無視されながら心ならずも保護をうけるなど、この世の無理解にさらされるとき、キリスト教の新たな信仰の回復の起点として役割を果たしうるのです。

異なる伝統や言語、国家を持つキリスト者、さらに異なる世代や世紀のキリスト者の信仰を一つに結びつける役割を果たすことの出来る、共通の信仰を告白するという経験や感動によって、教会の活力を与え続けて来たものです。この使徒信条に語られている、教会の信仰についてご一緒に学んでゆきたいと願っています。

( 牧師 丸田 久子)



教会員の投稿
■平岩 継生

さまよえる子羊のごとく(転会の期に際しての想い)

 安らぎの地を求め、行き先の定まらないまま、または定められることのないまま50年の間、学業また勤務の関係で多くの地で、多くの教会での生活を体験し、ときには地域社会と教会との橋渡しの役割を演じながら、時には自分自身の「レイマン」としての働きを確認しながら、そして、あるときは自身の信仰につまづきながら無教会派での神学的学習を重ねながら、苦しみの連続であったような生き様を晒しながらの信仰生活。しかも自身の苦しみを人に知られることを善しとせず、常に信仰的強者であり続けることを演じ続けてきた半生であったことを、省みることの出来た半年でした。
 昨年9月長崎平戸での勤務を終え、豊田の地に戻ったとき、心の中を占めた感情は、自分自身の居場所の確認が出来ないことに対する「不安」と4年半の平戸での信仰生活を支えていただいた平戸伝道所の振興の仲間から戴いていた支えから、別離した信仰的寂しさでした。言い換えれば平戸では、強がる必要がなく、ありのままの自分を曝け出す事の出来たときを過ごすことが出来た時間であった。と想い反した時、改めて自身の信仰の有り様を、再度作り直すことが必要ではないのか?さらには、「教会と私」「神と私」の関わりの中で、自分自身のアイデンティティー(信仰的主体性)の確立が「今」必要なのではないだろうかとの自分への問いかけに対して出させていただいた結論が、「転会」に踏み切らせて戴いたと考えています。
 「神と私」とのかかわりにおいて、神の指し示した道程を復活の奇跡を確認した後には、迷うことなく歩み続けた『使徒行伝』(あえて用いさせていただきます)に記されている使徒たちの歩みの道筋を自分自身も追い求めつつ、これからの歩みを踏み出すことが出来ればと考えています。必要なときは求めてください。共に神に従う「共働体」の仲間として用いていただければ幸いです。受け入れられたことに対する感謝を込めて。

          『これみなひとつとならんためなり』(ヨハネ17章21節)

平岩継生兄は、2011年3月に名古屋中央教会から、豊田教会に転入されました。



■安田 志峰

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