2010年1月号 |
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ファラオと家来たちは皆、ヨセフの言葉に感心した。ファラオは家来たちに、「このように神の霊が宿っている人はほかにあるだろうか」と言い、ヨセフの方を向いてファラオは言った。「神がそういうことをみな示されたからには、お前ほど聡明で知恵のある者は、ほかにはいないであろう。お前をわが宮廷の責任者とする。ただ王位にあるということでだけ、わたしはお前の上に立つ。」
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創世記41章37〜40節(新共同訳) |
ヨセフはエジプトの王に仕える身となりました。唯一の神さまを崇めつつ、神々を拝む者に仕えるのです。旧約聖書には、神さまが違うその王に仕えるイスラエルの人の話があります。ダビデは敵であるペリシテ人の王のところに行って忠実な武将としての働きをしました。ダニエルは捕囚の民の中の若者でしたが、取り立てられて、バビロニアの王に仕えました。その国の風習などと向き合いながら、唯一の神さまにそこで仕えてゆく、神さまへの信頼の強さを思わせます。
ヨセフのきっかけは、夢解きでした。周辺諸国を含めて辺り一帯の豊作と飢饉を王に知らせたのです。奴隷としてエジプトに売られてきたにしか過ぎない者が、「『このように神の霊が宿っている人はほかにあるだろうか』」と王の全き信頼を得ました。ヨセフが信じる神さまを思って、王はその神さまによる働きとヨセフのなしたことを認めたのです。信頼をしたのです。
そればかりではありません。ファラオは「お前をわが宮廷の責任者とする。ただ王位にあるということでだけ、わたしはお前の上に立つ。」と全権委任をします。国の今後の計画、人事、含めすべてをヨセフに任せるのです。王の一存でです。 当時は今よりも権威や権力で単純にことを進めることができた時代であったでしょう。ですから王のような力ある者の「信頼」(逆に「不信」)が、社会の現実をつくる大きな力となりえた時代であったことは確かです。
この王に対して、ヨセフも信頼を裏切りません。豊作、飢饉の対策をしっかりとなして実行に移し、国を守る働きを存分にします。わが神に仕える者として、他の神が実に仕える王の下で働くのです。決して容易なことではないはずですが、自分のなすべきことと心得て進むのです。
このことは、次のことと結び付きます。ほどなくヨセフの一族が飢饉のためエジプトに来て生活をするようになります。神の選民としての自覚を持った歩みを始めるその民の基となる者たちです。ヨセフは神さまのご計画のための働きを得たのです。
( 牧師 金井俊宏 )
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■今井 正明
「聖地旅行報告シリーズ 2」シナイ半島とイスラエルの旅
10月22日から11月1日にかけてシナイ半島とイスラエルを巡って来ました。エジプトのカイロからスエズ運河沿いに南下し、シナイ半島に入りました。移動は51人乗りの大型バスに、13名とガイド、ドライバー。シナイの荒野を左右に見ながら、モーセの泉に立ち寄り、聖カトリーナをめざしました。(エジプトを脱出し、放浪の旅をしながらシナイ山に辿り着くまでに要した労力、時間を考えると、やはり胸が熱くなってきます・・・)。
10月24日の午前1時、シナイ山登頂を目指し、暗闇の中を懐中電灯の明かりを頼りに進む。右手に聖カトリーナ寺院を見ながら・・・ラクダの背に乗り山道をゆっくり進む・・・背の高さは人の身長より高く2メートルくらい・・・徒歩コースを右に見ながら・・・1時間30分ほど、背に揺られ、見上げる空は満点の星★☆☆ オリオン座の周りに、こんなに星があるなんて・・・宝石をちりばめるほど輝いている光景は、まさに絶景である。
山小屋で休憩し、残り800余りの階段を、数多くの人々と共に山頂を目指す。標高は2285メートルから見る日の出に感動(5:50)。日が昇るにつれ周りの景色を見渡したとき、私達は想うであろう(荒野、荒れ野の真っ只中に居ることを・・・)
日が昇るにつれて、気温が上がり、出発地点に戻ってきた時には陽に焼けていた。ターバーからイスラエルに入り、死海の畔、エン・ポケックに宿泊。
「イスラエルには3度来て下さい。」ガイドの享子さんのメッセージが離れません。数多くのことを考えさせられる旅になりました。極東の日本から見る中近東、中近東から見る世界観・・・(民族間の壁・分離壁など) また、人々の生活基盤や安息日の過ごし方など、細かい事柄・・・ やはり数回行く価値はあると思います。絶対に!
多くの遺跡や教会が点在するエルサレムをはじめ、ガリラヤ周辺の教会など、聖書の世界を垣間見た旅でした。わたしの中では、最初に述べたエジプトからシナイ山頂が、心に強く残っています。
最後に、横山・田口両牧師をはじめ、半田・桜山・豊田教会の参加者の皆様に感謝して終わりたいと思います。ありがとうございました。
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■深津 玲実 |
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「イエスを否定するペトロ」
マタイによる福音書26章 69−75節
イエス様が捕らえられて裁判を受けることになった時、12弟子のひとりであるペトロは、そっと成り行きを見に行った。
ところが、ひとりの女中がペトロに近寄ってきて「あなたはイエスと一緒にいた」と言った。ペトロは皆の前でそれを打ち消し「そんな人は知らない」と言った。このイラストはその場面を描いたもの。
同様のことが3度あった。その時鶏が3度鳴いた。この出来事をイエス様は預言しておられたのだ。(3は完全数)
鶏の鳴くのを聞いた時のペトロはどんな思いだったろう。聖書は「外に出て激しく泣いた。」としるす。
この後ペトロはゆるされて、復活されたイエス様から「わたしの羊を飼いなさい」と言われ、伝道者となった。
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■安田 志峰
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