2009年10月号 |
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「イスラエル(ヤコブ)は、ヨセフが年寄り子であったので、どの息子よりもかわいがり、彼には裾の長い晴れ着を作ってやった。 兄たちは、父がどの兄弟よりもヨセフをかわいがるのを見て、ヨセフを憎み、穏やかに話すこともできなかった。ヨセフは夢を見て、それを兄たちに語ったので、彼らはますます憎むようになった。」
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創世記37章43〜5節(抜粋:新共同訳) |
一夫多妻の時代、ヤコブには4人の女性によって12人の子供が与えられました。妻が自分の召使いにも子供をと望むところなぞ、私たちの感覚からは計れないところもあります。ヤコブが心から愛したのは叔父ラバン娘ラケルでした。しかし彼女に子供が与えられたのは11番目の子でした。ヨセフです。聖書には「ヨセフが年寄り子であったので」とあり、かわいさもひとしおでしたでしょう。しかし12番目も与えられますから、ただ年寄り子というだけでなく、ラケルに与えられた最初の子という喜びであると思います。親はどの子にも平等であろうと願いますが、そのようにならないことも多いかと思います。ヨセフへのヤコブの愛は、あまりに他の子供たちと差がありすぎます。
10人の兄たちは父のこのようなエコヒイキ(?)には敏感です。子供は親の愛情が力ですから、偏った扱いがあればこれを重く受け止めます。兄たちは「ヨセフを憎み、穏やかに話すこともできな」い鬱屈した心になります。父に向かうべきでもありますが、弟にのみ向かうのです。
一方、憎まれるヨセフは、自分に責任があるわけではないのにそれを意に介さない様子です。自分が兄たちの上に立つ人間になる夢を見て、「それを兄たちに語」るのです。兄たちの怒りは倍加します。たとえそれが正当であったとしても、「ヨセフという奴は・・・」であったでしょう。
ヨセフはさらには、父も自分に従う夢を見ます。それを父に知らせます。さすがに父もヨセフを叱ります。
けれども、ヤコブの場合、「心にとめ」るのです。―、ヤコブは、兄エサウとのことなどで、若かりし頃から神が私たち人間の気持ちに振り回される方ではないことを身をもって知っています。ヨセフに対しても、神さまが働きかけておられるならば、受け入れる、その備えを持ちます。
父ヤコブのヨセフへの愛は、一人だけ晴れ着を与えたり、それで兄たちには憎しみの連帯ができたりします。聖書は、ヤコブが心に留める事実を語るのみ、それがあるのみです。でも受入れの事実を示します。神がそこにおられる、その指し示しでもあります。
( 牧師 金井俊宏 )
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■深津 玲実 |
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「ゲッセマネの祈り」
マタイよる福音書26章36〜46節
●ゲッセマネはオリーブ山のふもとにある地名で、原語の意味「油しぼり」が示すように、オリーブの樹がある園のこと。エルサレムの東にあり、イエス様はここで「血のしたたるような汗を流して祈られた」と伝えられる。現在、その岩の上には会堂が建てられている。
●このイラストで、上部で祈られているのがイエス様。
賛美歌I−133の1節
「夜はふけわたりぬ、ゲッセマネの園に
なやめるイエス君 ひとり祈りたもう」
●イラストの下部で横になっている3人は、弟子のペトロ、ヤコブ 、ヨハネ。
賛美歌I−133の2節
「胸さくるほどの きみの苦しみを
おもわで御弟子ら 夢路をたどりぬ」
●この場面をみると、おもわされることがいくつかある。
1.イエス様は完全に人となられて苦しまれ<<御心のままに>>と祈られた。
2.イエス様が祈っておられる間、目を覚ましていられなかった弟子たちを、イエス様はとがめず<<心は燃えても 肉体は弱い>>と言われた。
3.このイエス様に、ルカ22の聖書では、天使が付き添ったとある。賛美I−133 4節
「御神の使いは 空よりくだりて、 きみにはべりつつ 御力をそえぬ。」
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■安田 志峰
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