2008年11月号 |
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彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして全地に散らされることのないようにしよう」と言った。…主は言われた。「我々は降(くだ)って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしよう。」 |
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創世記11章4節以下(新共同訳) |
バベルの塔の話は、人間が自分たちの知恵と力を用いて神に向かって人間世界を立上げて神の領域にまで達してゆこうとすることに警告をしています。人は塔を高く作ってゆきたいのです。しかし上の聖句をみますと、主は逆に上から降ってきてくださいます。私たちは上を見る思いを持つことなしに神様をほめたたえることはできませんが、自分が高くなることと、低い者であるが故に上を仰ぎ望むこととは違います。高くなれる力があると知ると神の領域を獲得できると思い違いをしてしまうのです。バベルの塔―私たちが作り上げる塔はたとえどんなに頑丈に作っても崩れ去る危険性を取り去ることはできません。神様の領域を自分が獲得できると思うとすれば、そこで見ているのは蜃気楼でしかないのです。
主は通せんぼをされます。人間の言葉を混乱させるのです。それは私たちの邪魔をするかのようです。しかし自分で命を獲得した者はいないのですから、「自分の力で神に達することができる」と高みを望むのは幻想です。神様が「勇み足をしてますよ」と示してくださることは、通せんぼではなく、私たちが自分の存在について改めて思いを致すための導きであるはずです。人間は素晴らしく見える塔は作れますが、確かな塔を作り上げることはできないのです。実際、言葉を持って生きる私たちはいつも言葉の足りなさを思います。そのことを思うだけでもよく分かるのではないでしょうか。
世の中は、大は戦争、小は家庭内不協和音が絶えないです。自分(たち)の正義が通るはず、とそれぞれに皆が自分のバベルの塔を建てようとするからだといえましょう。
主への信頼から始めて、主への信頼に戻るようにと、その語りかけとしてこのバベルの塔の話を聞きたいです。確かさはいつも主の下にのみあります。
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■野田 和子 |
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【東地区婦人会研修会に参加して】
10月7日岡崎教会で行われた婦人会研修会に豊田教会の姉妹5人で参加しました。講師は箕面教会小林よう子牧師、主題は、「関わる」ということ−−−『一緒に喜んでください』でした。
講演は小林牧師が読まれた本の中の「6次元の関係」で始まりました。その説によると、世界中の人達は、知り合いのそのまた知り合いとたどれば6回で皆つながるそうです。そう考えると、日本では1%に満たないと言われている私たちクリスチャンも、心強いではありませんか。そしてまた、「地の塩」としての役割にちょっと心引き締まりますよね。
よう子先生は夫君が神戸の神和教会の牧師であられたとき、震災に合い、会堂は壊滅し、夫君は2年後に亡くなられたそうです。どん底の中で、4人の子供たちや教会員、地域の人達に励まされ、神学校に入学して自身が牧師となり、現在、大阪の箕面教会で牧されておられるとのことでした。
震災後の教会敷地は地域の学童保育の場となり、若いボランティアたちが世話をしたそうです。教会に足を踏み入れたことのない人達も教会を知り、ともに働いたことでしょう。人のつながりにほんとうに励まされたということでした。
小林牧師のお働きを神様が見守ってくださるよう祈りつつ、私たちも力を得た一日でした。
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■深津 玲実 |
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■安田 志峰
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