2008年10月号 |
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この地は神の前に堕落し、不法に満ちていた。…神はノアに言われた。「すべて肉なるのを終わらせる時が私の前に来ている。彼らのゆえに不法が地に満ちている。見よ、私は地もろとも彼らを滅ぼす。あなたは木の箱舟を造りなさい。」 |
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創世記6章11節以下(新共同訳) |
昔話「花さかじいさん」は、欲ばり爺さんと対比しながらですが、自分の欲得に目がくらむことなく生きる麗しさを語ってさわやかです。
聖書、箱舟を作ったノアですが、自分のこと以上に大事にすべきものがあることを知っています。神様に素直に心を向けます。皆が我が世に熱を上げて堕落しているときに、神様から箱舟を山の上で造るように言われ、それを行動に移すのです。子供向けの話では、周りの人たちが「ノアさんは頭がおかしくなった」と記します。わが世にうつつを抜かしてその生き方で良いとしようとする人々は、神様に対して素直でないことなど気にならないし、逆にノアのような人を奇異の目で見るのです。―それが「神の前に堕落し、不法に満ちていた。」です。
さて、もし神様が人の堕落に対して無力であるなら、それは神様よりも人間のほうが力があるということです。
このところ私たちの身の周りは、突発的犯罪の頻発、食品の偽装問題の深刻化、首相の働きの(あるいは日本の政治の)不徹底などなど、どれも行き詰まり感が広がります。世界も、金融不安など人間の知恵が追いついていかない社会を作っています。脇前を見失った人間の傲慢さが隠しようもなく愚かそのものとして現れ出ているとも言えます。
ノアの話を思いますと、これは堕落、不法の様といってよいでしょう。神様の目に素直さを取り戻す時です。ノアは、神様が「終わり」を持ち、また「始まり」を持つ方であることを知っているのだと思います。理屈なしの「信頼」です。ですから自分ではなく神様から始める道を進みます。その現実はやがて40日40夜の雨、大洪水に見舞われますが、み守りを信じています。私達も神様に対して素直な者となることができるよう、主をたたえるみ恵みを心にしてゆきたいです。
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■深津 玲実 |
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「良き羊飼いの譬え」 わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。 |
ヨハネによる福音書10:7〜18(新共同訳)
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1. 飼い主我が主よ 迷う我等を 若草の野辺に 伴い給え 我等を守りて 養いたまえ 我等は主のもの 主の群れなれば
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3. 赦しのみちかい、救いの恵み、 きよむる力は ただ主にぞある。 我等をあがない 生命をたまう、 我等は主のもの、主に在りて生く。
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(賛美歌459) |
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■安田 志峰
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