2008年3月号 |
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「体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。」 |
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エフェソ4:4(新共同訳) |
愛する豊田教会の皆さん。9年間誠にお世話になりました。まだまだ未熟者の私ですが、この年月の間に私は多くを得、学んできました。今は感謝の気持ちでいっぱいです。
1999年に私が豊田教会に赴任したとき、まだ独身でした。豊田教会における尊い役割に責任を覚えつつも、しかし心のどこかに寂しさを感じていました。時が経つにつれて、教会の兄姉が私の家族であることに気づかされました。そして、結婚、子供の誕生と実生活の上でも家族が増え、私は本当に恵まれていたことに感謝しています。今では豊田教会を第二の母教会と思っています。別れの時は近づいていますが、故郷を心に思うように祈りの内に豊田教会を覚えていきます。
以前、西千葉教会にいた時、私は聖歌隊の一員としてドイツに演奏旅行に行ったことがありました。この時、せっかくドイツで歌うのだから一つ位はドイツ語で讃美しようと簡単な気持ちで指揮者である木下勝世兄が一つの賛美歌を作りました。それがドイツでは多くの人に感動を与えたのです。
『♪結ばれている 一つの絆で 御名により集められた 我ら今
主は一つ 我らは一つ 信仰は一つ 主にあってーつ♪』
[EINE GEMEINDE(和訳)詞・曲 木下勝世]
ドイツでは言葉も文化も違います。しかし、信仰によって私たちは一つの家族となっている、それがドイツの人に受け入れられたのです。今、しばしの別れとなりますが、私たちは信仰によって一つの家族となっていることに希望を抱き続けます。(中西)
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■深津 玲実
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「湖の上を歩くイエス」 マタ8、マル6、ヨハ6
★パンの奇跡の後、主イエスは弟子たちに強いて「向こう岸」へ渡るよう言われ、ご自分は山で祈られた。夕方だった。/湖で逆風のため難儀をしている弟子達のところへ、夜が明けるころ、主イエスが湖の上を歩いて来られた。/弟子達は恐れた。/主イエスは言われた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」(聖書)
★『パンの奇跡が行われると人々は感動して・・・中略・・・奇跡を行うような人の弟子であるから、それだけで鼻高々となれるわけである。ところがイエスは、弟子たちを海−海というのは聖書ではだいたい不安を意味しているが、不安の世界へ送り出された。その世界では神を否定し、神のわざは見られない。イエスが来られても、それが幽霊のようにしか思えない。実体が伴わない。神が、イエスが、十字架がと言っても、言葉だけがから回りする世界である。そういう世界へ弟子たちを追いやられた。パンの奇跡を見て感動した弟子たちも、具体的なこの世の力の中に投げ込まれたときには、全く恐れとおののきしかなかった。』一日一章(榎本保郎著)
★この後、聖書には「イエスが舟に乗り込むと風が静まった」とある。主イエスの言葉を聴いて、舟に迎え入れた弟子たちの平安と慰めを語っている。(久美江)
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■安田 志峰
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