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御言葉に聴く

エクレシア巻頭言に
コロサイの信徒への手紙 4章 2〜4節

 エクレシアの為に、与えられた言葉は「目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい」である。これは人々の口に良くのぼる言葉のひとつであろうか。それであらためて声に出して読んでみた。コロサイ書の文は長いのが特徴だがそれと分からないようにうまく訳されている。それでよく引用されるのだろう。わたしにはコロサイ書から引用することはこれまでできなかった。それだけ聖書の読み方が足りないのだと常々思ってきたところである。引用する言葉は大抵福音書のものが多かった。これでは偏っているかな。今回、良い機会が与えられ、声を出してコロサイ書を読む機会となった。

 さて、紀元61年の地震でコロサイが破壊されたとされる。それならばこの手紙はそれ以前に出されたと云うことか。新約聖書の中でも「古い」方に入ることになる。新約聖書の最古のものはテサロニケ第一、パウロがコリント伝道を始めるころに即ち紀元50年ころに出された。テサロニケに新しい信徒たちを残して、彼らに批判的な人たちの行動が起こる最中に逃げるようにして出てきた。彼らが矢面に立たされている。心配の余りパウロはテモテ,シラスをテサロニケに派遣した。そういう心配の最中にアテネ伝道は芳しくなくコリントに行ったら、そこで48年にローマから追放されたプリスキラ・アキラ夫妻と出会った。彼らが先にコリント伝道を始めていた。そして互いに同業者の革細工師/テント造りだったと使徒言行録18章は記す。

 信仰内容も互いによかったのだろう。パウロの伝道も山あり谷ありの連続、教会もまたそうである。谷だけでも山だけでもない。テサロニケから二人が戻り吉報をもたらし、また質問も持ってきた。これを聞いて心躍るパウロ、手紙を書いた。その当時の手紙の費用は莫大なもの、パピルスのA4サイズの紙に書く(一枚5千円はするというもの)、何枚に書いただろうか。それを届ける郵便制度は既にあった。コリントからテサロニケはあのエグナティア街道(幹線)が走る。郵便制度は代のものとそんなに変わりはない。戸配は無くても港、驛まで取りに行く。パウロの感謝溢れる心情と彼らの質問に答える為に手紙が書かれた。その際、手紙は私信ではなく、教会で読みあげられる為のものに変わり、繰り返し読まれる、書き写され保存される、近隣教会に回覧された。時には手紙の内容に新たな質問が届けられる、直接パウロの元まで人々がやって来て質問をする。このようにして当時は礼拝ばかりでなく互いに往き来して信仰の深化がなされた。皆で繰り返し手紙を聞く、そして受け止めた。

 コロサイ書4章2節から4節までの一文である。「2節 祈りに専念せよ、祈りに於いて感謝しつつ目を覚まして、3節 同時に私たちのためにも祈ること、神がわたしたちに御言葉の扉を開かれるように、キリストの神秘/奥義を語るために、わたしは縛られている、4節 わたしがこれを語るべき仕方で明らかにできるようにと。」(私訳で) 縛られているパウロたちのことを覚えて祈りに専念する、それが眼覚めているしるしとなる。自分たちのためにも。今置かれている状況が好転されるように。

代務者 池田春善  

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