第3回勉強会

概要については

下記のゆずりは通信 特別号(全4ページ)をご覧ください。

ゆずりは通信 特別号の原稿です。

 

ゆずりはの会 第3回勉強会 特集

「緩和ケアとは」

     平成20929日(月)  午後630分〜840
   市民活動センター 会議室
     聴講者 :34

    聴講者の方が書いてくださった一言を、お届けします。

河野悠子

1.講師 西村大作先生 

自己紹介 56才血液A型 サービス精神旺盛
       豊田厚生病院地域医療福祉部長兼 緩和ケア部長
       1952年兵庫県生まれ 1976年名古屋大学にて医師免許取得
       旧豊田加茂病院にて27年間勤務 カン専門(緩和ケア、肝臓、漢方)
       趣味は 合唱、ハーモニカ 

母上の紹介 尊敬する看護士でもあった母上は、「死」を当たり前のことと理解していらして、「お別れの手紙」を生前に用意していらっしゃった。家族のみんなへの感謝状「お世話になったね。ありがとう!」を書かれていた。

2.「緩和ケア」とは

*患者とその家族の肉体的、精神的、社会的、スピリチュアル、これら4つのすべての痛みを和らげるケアのことである    。生活の質を高めるアプローチであり、心と心のふれあい、対等のコミュニケーションが基本である。 

*そもそも、‘ホスピス’の語源は「心を込めてのおもてなし」を意味している。日本のホスピスケアの対象は癌とエイズ(       HIV)に限られているが、外国では神経症、認知症もその対象に加えられている。

医療活動2年目の若き青年医師時代、30才の胃がん患者との心のふれあいを通して、緩和ケアに心が動いた。80才男性、末期がん患者「キスの刺身をもう一度食べたい!」「たべさせてあげたい!」夢をかなえてあげるためのチームアプローチ。不可能を可能に!
ホスピスケアはそういうこと。

*一般病棟とホスピス病棟のケアの違いについて  

(一般)               (ホスピス)
   Doing 問題を解決する       Being そばにいる
   Cure延命重視の治療        Careケア・お世話

*患者偏重主義           Human approach

ホスピスケアは、環境の温かい配慮の中で、人格的アプローチを基本に、生命生活の改善をサポートすることである。患者、家族、医療者、ボランティアとの平等なつきあいの場であり、ケアの根底に神秘への畏敬の念があることを特徴とする。 

3.ホスピスの例

*豊田厚生病院緩和ケア病棟は

   全個室で17床、西村先生をサポートする17人の看護士、
      その他の医療チーム(ソーシャルワーカー、薬剤師、栄養士、臨床心理士)[
      特室A 15,000/1日  A個室6,000円 B個室 差額無し
      定額制度(38700/1日)が支給される。国民保険 各種健康保険 利用可

 

*聖ラファエルホスピスの場合

 一般280床  緩和ケア10床 自己負担10ユーロ/1日(1700)負担は非常に少ない
     ボランティアの役目 代筆、花の手入れ、シーツ・リネン交換、
     悲嘆ケア(遺族のための)の行事をリードする。
     遺族の家庭を訪問して、家族の負担の軽減に努める(in the hospital and at home

*聖クリストファーホスピス(ミュンヘン1985年設立)の場合

  職員40人 ボランティア150人 1人の患者に1人のボランティア(ソーシャルワーカーが適材適所に配分する。)4h/1   日を上限とする。男:女=1:9
   オーストリア・ドイツでは徴兵を拒否するとボランティアをすることが義務付けられている。 

「傾聴」シシリー・ソンダース
            聴くというかけ橋をかける。一生懸命に聴く姿勢がなにより大事。
             1に聴く 2に聴く 3に聴く hearでなくてlisten
              listen とは、個人的に関心を持って、しっかり聴く。「聴いているよ!」

4.先達の言われたこと

*アルフォンス・デーケン先生によるボランティアの条件
     奉仕の精神、癒しと希望、傾聴、開かれた心、プライバシー、ユーモア「・・・にもかかわらず笑う」、愛と思いやり、感謝     と赦し、人間同士の連帯感、ユーモアと笑顔を大切に!

*日野原先生(96歳)(聖路加病院理事長 ホスピス院長)のボランティアの条件
      身近な人を亡くしてその悲しみから癒された人が最高。医療の素人がいい!

*柏木哲夫先生(元、淀川ホスピス病院長、 現、金城大学学長)
     「気持ちを分かって欲しい!」「痛みをとって欲しい!」

5.さまざまな知見

*「癒し」に2つの意味がある。

1)病気が治ってもとの状態にもどること。
   2)長い間欲しかったものが手に入ること。(この方が大事)

*スピリチュアルペインからの解放

「つらいですね。」「そうですか。悲しいですよね。」「ほんとにやるせないですね。」このような気持ちに寄り添った陰性感情表現で人は癒される。
 *「がんばってくださいね!」はダメ(「これ以上どうがんばれというのか!!」)

*癌の告知 現在どのステージにあるか。bad news →ショック→否認→絶望→?

*在宅医療の条件 介護力はあるか? 医療のsupporting care は大丈夫か?

*家族とのコミュニケーションが出来ないまま亡くなられるのが一番悲しい!

*生を肯定 死を尊重

*ホスピスは終末期患者だけが入るところではない。(ホスピスから自宅へ、自宅から病院へ、又ホスピスへ)

*ホスピスはチームアプローチ(医師、看護士、ソーシャルワーカー、理学療法士、栄養士、薬剤師、ボランティア)“やり   直しが効かないかもしれない!”これが一般病棟と違うところ。

*「もう一度生まれてきて、結婚することになったら、よろしくね。」

*「なごり雪」句会

俳句会主宰者であられた終末期の患者の場合
       豊田厚生病院緩和ケア病棟で最後になった句会を準備する。

              「癌の巣も 飛ばしてしまえ 青嵐」大作
               「               」 主宰

6.終わりに

先生の飄々とした語り口とユーモアセンスをベースにして、深刻であるはずの「終末」や「死」が身近な問題としてリラックスして理解できました。時として会場は笑いに溢れ、ハーモニカの音色にうっとり、あっという間に時間が過ぎました。先生の温かいお人柄に魅せられました。これからも西村先生といっしょに豊田の緩和ケアの充実に向けて、勉強会が続けられることを願ってやみません。ありがとうございました。

 

阿部一枝記

私は予てより、自分が「余命」を宣告された時、
どうするか・どうしてほしいかを考え、下記の事を家族にも伝えてあります。

 1.告知をしてもらう。延命治療は行わない。 

2.自分の足で立って、話ができるうちに生前葬を執り行い
  お世話になった方々に感謝とお別れを伝える。 

3.その後は、ホスピスでターミナルケアを受けながら、
  家族と過ごし、家族だけに看取られてこの世の別れとする。 

豊田厚生HPにホスピス病棟ができたことは大変嬉しいことです。
私が告知を受けた暁には是非、西村先生のお世話になりたいものです。
そのためにも、西村先生に1日も早くホスピス専従のDrとなって頂きたいです。

 余談ですが、私が始めてハーモニカを手にしたのは小学校3年生の時でした。先生同様、私のそばにはいつもハーモニカが置いてあります。そして、よっといでんのデイサービスでも、ご利用者様の歌に合わせて吹くことがよくあります。九州佐賀県出身の私にとってハーモニカで吹く「故郷」は心の支えです。先生の一番弟子にして頂き、先生と一緒にボランティアが出来るといいなあと勝手なことを考えている私です。 

本当にいいお話を有難うございました。 


大久保久代記

おはようございます。西村先生のお話、好評でしたね。

お誘いした友人は、「ぜひ入会したい」と言ってくれました。

ずっと以前、山崎章郎さんのお話を、愛知ホスピス研究会でお聞きしたときには、(本で読んでいたことを話されても)身が震えるようでした。「患者が主人公」というのは理想であって日本の医療界では、なかなか実現できないことが、「ここ」ではできるのだ、そうしようとしている医師たちがいるのだということに、感銘を受けました。

ガンの痛みの90%は確実に取り除ける、それをしないのは、医者の怠慢だとすら。

9年前、父が胆嚢ガンでもう余命3ヶ月と告げられたとき、山崎医師の本『病院で死ぬということ』と『続・病院で‥‥‥』の題名を黒く塗りつぶして、付き添っている母に届ける折、新幹線の中で読み返し、泣けて泣けて、声を抑えるのに苦労しました。

父の「痛み」は、ある程度のだるさと引き換えに取り除かれました。モルヒネをきちんと使ってくれましたので。父も余命を知らされておりました。   

客観的に読むのと、自分の親に起こっていることとして、読むのでは全然「思い」が違いました。長坂さんもお身内にガンの方たちを抱えておられたのですね。母は40代の終わりに、胃ガン。幸い転移がなくて、3年越しのガンは取り払われました。 

そのころ、柳田邦夫さんの『ガン回廊の朝』シリーズを読み漁っていたこともあって、医学の先進技術のおかげで母は助かったと、思っています。でも。日ごろ偉そうに言っていても、よき終末を迎えられる自信はありません。でもそれも自分だろうし、許してもらえるだろうと思っています。誰だって始めての「体験」なのですから。よって、存分に生きたい、と思っています。

ただ。私は身近に、「こういうことを考える」友人たちがいると心強いと、ずっと思っていました。「そのとき」を自分らしく迎えたい。ある程度、客観的な把握が大事ですものね。

長い間の知人が、先月、あいついで亡くなりました。高齢ではあったのですが、どちらも、ひっそりと家族だけで葬儀をすませ、すべて終ってから所属する「会」に知らせがありました。遺族も高齢だし弔電、お香典、お手紙、お電話のたぐいは一切おことわりということでした。

お一人は献体をされた後、ご自分が以前書かれた自筆のお別れのはがきを100枚ほど投函してくれるように、と娘さんに言われたそうで。最後の入院の前は「エネルギー切れたから、補充してくるよ」と友人に電話された由。

 「ゆずりはの会」が人間らしい最期を前提に、真摯に前向きに、明るく活動が展開していけたらいいなと勝手に思っています。

 

加藤素男記

豊田厚生病院緩和ケア部長・西村大作先生の講演、「緩和ケアについて語る」を聴いて

1.少しずつ増加しているホスピス

私がホスピスについて初めて詳しい知識を得たのは2002年に出版された日野原重明先生の「老いを創める」という本からでした。西村先生はドイツ、オーストリア各地のホスピスを訪れて勉強されたとのことですが、日野原先生は1980年代にイギリス各地のホスピスを幾つか訪問され、日本のホスピス医療の遅れを、身を持って感じたと述懐されています。当時(1985年)「日本ではやっと内地に二つ、沖縄に一つのホスピスができた」と述べられています。(同書p.164) 日本全国を通して三つしかなかったということです。それから20年を経た今、たったの三つであったものがいまや117施設に増え、わがまち豊田にまでホスピス病棟ができたと知って世の中変われば変わるものだと驚いています。

2.ホスピスを担当されている先生方のお考え

先日、柏木哲夫先生の「あなたともっと話したかった」という本も読みました。これら三人の先生の本や話を通して痛切に思うことはお三方ともまことに人間味溢れた神様のような人たちばかりだということです。西村先生はお話の中で、ホスピスに関る者の一番大切な仕事は患者や患者の家族のいうことを聴いて、聴いて、聴いて、なお聴いてあげることだといわれました。患者の病気を治そうなんて大それたことを考えるのではなく、絶えず傍に居て患者の思いを分かち合うことに尽きるということでした。わが身に引き換えて言わせて貰うならば、私の子供にも、私の妻にも、とても望み得ないようなことです。わが身を振り返れば、私は今までいわゆる善人ではなく悪人でした。したがって、最期は妻子にも見放され苦しみながら逝くのも仕方がない、のかもと覚悟をしていましたが、厚生病院には西村先生がおいでになることを知って、ひょっとしたらこれは望みがもてるかも知れないなと邪心がかま首をもたげたところです。ま、世の中、そう甘くはないと思いますが。

3.安楽死をどう考えるか

西村先生のお話の中で一箇所気になることがありました。それは、「緩和ケアは安楽死とは違う」とおっしゃったことです。安楽死は死を早めることであるが緩和ケアではそのようなことはしない、ということです。緩和ケアは狭義では pain control とも言われ、主たる役目は全身病魔に冒され、耐え難い苦痛に悩まされる患者に各種の鎮痛剤、鎮静剤を投与し苦痛を抑制ないしは除去することにあります。しかし、現実の問題として、病状の進行に伴い、あるいは同種の薬を常用することにより、薬効が低下することは避けられません。したがって不足する薬効を補うためには薬量を増すという手段がとられます。

ここから先に微妙な問題が絡んできます。通常、鎮静剤としては麻酔薬が使用されます。胃カメラを飲んだり、手術をするときにお世話になるアレです。私は胃カメラを飲むときいつも注射をしてもらいます。1,2,3、・・・と数を数えますがたいてい五つまで数えたことはないと思います。気がつくのは2時間ぐらい経ってからで、カメラが喉を通ったときの痛みも、先生たちの話し声も一切覚えておりません。さて、ここで問題は注射液の量です。あの量を間違って大量に注射されたら私は永遠に目が覚めないことになります。

間違いか間違いでないかは別にして、終末期の患者を前にして昨日と同量の注射をしても患者の苦痛を除去できないとき、しかもこれ以上薬の液量を増やしたら、逝ったきりになると予想されるとき、医師としての決断はどうすべきか、このことを私は一度お尋ねしてみたいと思いました。

 

蔵永泰彦

今回の講演で「新入会員」となった、蔵永です。
関係者の皆さんは、色々とご苦労さまでした。
(以下は、ご指定の「感想」としては長いので、単に読み飛ばしていただければ結構です。)

トヨタ自動車時代に先輩だった長坂さんからの紹介で、これまたトヨタ時代の知己(先輩)である竹内さんが主宰しておられる会だと聞いて、今回から参加させていただきました。

奇しくも、直前の9/27、28に、山口県の下関市に、父の様子を見に帰省して来たばかりの身には、西村先生のお話は、まるで「わがこと」のように、身体の隅々まで浸み渡りました。認知症が進行中で、言葉もろくにしゃべれなくなった父に対して、何にも“Doing”してやれないで、ただ傍にいてやる(“Being")だけの帰省でしたが、まさに、西村先生の言われる通りだ、と思いました。

昔、中学生の頃、国語で習った歌人・斎藤茂吉の歌に、『死に近き母に添い寝のしんしんと遠田のかはず天に聞こゆる』というのがありましたが、以後の人生で時折この歌を想い出しております。まさに、“Being”の極みだと思います。

今後も、このような素晴らしいお話が聴ける事を願っております。

蛇足ながら、子供の頃、冬休みに親の田舎に行った時、町に行商に行くために納屋で作っている正月の飾りを手伝った事がありましたが、その中に、「ゆずり葉」もあり、この名前は、子供の頃から存じ上げておりました。でも、その「いわれ」は、今回初めて知りました。

 

竹内一良記

1.講演の様子

飄々とした語りが、深刻な内容を普通の話として聞かせた。
 途中でCDの歌を流す、自らハーモニカを演奏するなどを型破りだった。

母親の遺書(家族へ残した手紙)を公開するなど、自らのすべてをオープンにする姿勢を貫かれた。短い期間の接触の中で、患者さんと心を通じ合う唯一の道であろうか。先生の人柄がよくわかったし、好感がもてた。

2.悲嘆カウンセリング

  今まで重要に考えていなかったが、大切さと難しさを教えられた。
     家族や遺族への悲嘆カウンセリングの分野については、ボランティアのリードが期待される、と言われたが、とても重い     課題だなと思った。福知山線の脱線事故に言及して、JR西日本の幹部にも必要との指摘は新鮮だった。

3.末期患者の願い

気持ちを分かってほしい
       傾聴、説教などよりも、痛みを和らげてほしい、などの言葉が印象に残った。

 

長坂洵二

○西村先生の話は、よても良かった。
 緩和ケアの本質の理解が深まり、現場の様子が理解できた。
 友人の聴講者も、癌の父親を抱えて、自分の振る舞いを先生の話に照らし合わせながら聞いたと言っている。

○西村先生は、「かたつむり」のような歩みを自分たちのせいのように言われるが、先生たち現場の皆さんの頑張りようを考えると、「かたつむり」の歩みにしているのは、周囲の社会のせいであることは明らか。でも、自分に何ができるのだろう?

○私の母(73歳)、父(87歳)、兄(59歳)、いずれも癌を患い、中でも、母、兄は、それこそ苦しみ悶え、壮絶な死を遂げた。当時は緩和ケアの概念も無かったのだろう。しかも、昨日のNHKテレビ/田村恵子さんのホスピスとは大違いの地獄のような医療環境だった。その後、義母が長年認知症を患い逝った。

○肉親の死から少し時間を経て、悲痛な思い出もだいぶ薄れ、私は、今は、少し平穏な時期を過ごしている。だが、その平穏も、やがては自分か肉親に起こるであろう出来事で崩れていくことは必至。 これぞ、世に言う「無常」というもの。

○人々が、それぞれ、尊厳を保ちながら、少しでも穏やかに人生を生き抜けるような世の中でありたい。その為に、自分は何ができるのだろうか。時に、無力感に襲われながらも、とにかく、前に歩こうと思っている今日この頃である。

HA記

西村先生のお話とてもよかったです。ユーモアを交えて身にしみました。

HS記

10分くらい遅れて入ったので最初の部分を聞き逃したのですが、なぜ緩和医療はがんとエイズだけなのでしょうか?すべての生は死へとつながるのに・・・・と思いながら聞きました。


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