第4回 あいちホスピス研究会 公開講座 

柳田邦男  「メディア社会と心の発達」 − 絵本、読書の新しい意味−
   615日 午後130分〜410分   
   ウイルあいち で                            竹内一良記

 

<前置き>

300年前から、科学が大きな進歩を遂げた。“我思う、ゆえに我あり”の言葉がそのきっかけだった。観察する自分と観察される自分を区分した点が進歩のきっかけだったと思う。自分を対象化した点が画期的である。

科学の進歩に伴って、病気の解明も進んだ。100人の病人を調べたところ、共通の症状がある。なぜなぜと分析・追求していき、例えばコレラ菌にたどりついて、治療薬の開発が進んだ。こうした進歩は、身体の病気については多く見られた。

しかし心の悩みのような分野はこうした手法は使えない。一見似ていると思われる悩みを持つ人を100人調べたところで、共通の病原菌が見つかるわけではない。精神の病気には、一般性・普遍性がない。

心理療法をしている医者が困って、河合隼雄先生を招いて講演会を開いた。河合先生は「身体の病気の世界では、一つの薬で治る場合があるけれども、カウンセリングの世界は、一片の言葉で直るようなものではない。自分の中にある自分で治せる力を気づかせる方法しかない。気づかせるのに、ある時には10年かかることがある。どこでも使えるような処方箋は無いが、様々な症例を学んで覚えておくと、新しい課題に出会ったときに、良いヒントに気づきやすくなる。出来る限り多くを学びなさい」と答えられた。

 

<本題:メディア社会と心の発達>

メディア時代、すなわち携帯・ネット時代が始まった。生身の人間同士の
   交流とは まったく 違う交流が行われている。


1.ある小児科の病院の待合室での風景。 
   10人ほどの母親が赤ちゃんを連れてきている。昔なら、母親がお互いの
   苦労話をして、情報交換をしていた。今は、お互いに話をしないで、黙っている。
   中には、母乳をやり ながら携帯電話で話している。赤ちゃんを見ていないことも
   多い。点滴で栄養液を補給しているようかのように見受けられる。

2.コンピューターや携帯電話での情報交換は、その時に処理されてゆくが、実感が
   残らない。東京のクリニックの話。 18時間パソコンに向かっている人たちが
   患者としてきて、 「お客の注文を忘れてしまう。予定日をすっぽかす」などの
   ミスを頻繁に起こすなど、大切なことを忘れてしまうという悩みを訴える。
   画面上では次々に処理するが、物事が心に落ちて いるわけではない。

3.
小学校の低学年の生徒について調査したところ、「人間が死んでも又生き返る」
   と思っている子どもが半数以上あったという調査結果がある。
   バーチャルメディアでは、命の大切さを教えることが出来ない。実存感が無い。


 
人間は、幼児期に受けた(特に) 母親との交流が、心の故郷として残って、安らか・
安定感を獲得できる。メディアの時代になって、こうしたことが少なくなった今、
どうしたら命の大切さなどを教えられるだろうか。

   1.    絵本そのもの、絵本を読み聞かせること
2.    
親のアタッチメント(抱きしめ)     

2つを強調された。

絵本を読み聞かせることの効用

@     子どもの言葉の数が増える。
A     感性が豊かになる。
B      文脈を理解する能力が高まる。自分の心を言語で表現する能力が高まる
C  読み聞かせは、子どものペースで進められる。好きな箇所で立ち止まれる。
     何回も前へ戻れる。質問したり、会話をはさむことが出来る。読み手と子供の
     交流が図れる。
     携帯などでは、相手の気持ちに関係なく、一方的に情報が送り込まれる。
D 母親自身が、ゆったりとした安らかな時間を持てる。


スライドを使っていくつかの絵本を紹介

「だいじょうぶだよ、象さん」

年老いた象と小さいねずみの物語。象=老人の死を受け入れることが出来なかったねずみ=家族が、年月とともに、心が成長して死を受け入れられるようになる。聴いていたある子どもは自分の叔父の死と重ねて、死を理解した。教室で読んでいた先生が突然泣き出して読み続けられなくなった。クラスに動揺が走った。これこそ生きた教育である。ある有名な人は「座右の本」としてこれを選んだ。

「雪とパイナップル」  鎌田實

チェルノブイリに住む14歳のアンドレ君(14歳)が死を迎えた。日本人看護師:ヤヨイさんが「何を食べたいか」尋ねた。「パイナップル」と答えた。雪の中で、弥生さんは必死にパイナップルを探して、やっと見つけることが出来た。パイナップルを食べたアンドレ君は8ヶ月生きた。

母親から手紙が来た。「感謝の気持ちがよみがえった」と書いてあった。原発事故後の政府の対応に不満で、かたくなに心を閉ざしていた彼女が、最大・最愛のものを失ったのに、感謝を述べた、そんな人間の絆の不思議さに出会うとき、薬では届くことが出来ない何かの存在を感じる。

鎌田實は、1歳のときに、親に捨てられた。育ての親はタクシーの運転手。母親は心臓病で家と病院を行ったり来たりの生活をしていた。自宅の布団で、病院のベッドで寝ていたが、實少年が来ると、ベッドに入れて抱きしめていた(アタッチメント)。實少年はお母さんのぬくもりを覚えていたので、不良少年にもならず、お母さんを直したい一心で医者になった。生みの親か、育ての親かは影響しない。全身全霊でぶつかるかどうかである。

「わすれられないおくりもの」

法行良太君2歳がインフルエンザをこじらせて治る見込みがなくなった。8歳の姉と6歳の兄は、弟の死を理解できないで、病院で騒いでいる。医師がこの本を読み聞かせたところ、兄弟二人は死を理解した。その兄弟は、「死んだ後も良太が近くにいるような気がする。兄弟3人揃って暮らしているような思いである」と手紙を送ってきた。

母親は、「突然の事故死よりは、病院で静かな別れの時を持てて幸せだった。現在は、悲しい喪失体験と格闘しながら、他の子どもを救う会の活動をしている。それが自分の“癒し”になっている」 と手紙に書いてきた。“癒し”は 今ブームになっている。音楽を聞いて心が休まるという“癒し”が話題になるが、この母親の“癒し”は違う。悲しみが本当の人生をおくる原点になりうることを教えてくれている。

「くまのこうちょうせんせい」 「おにいちゃんがいてよかった」 「レイチェル」 「おかあさんになるってどんなこと」 「でもすてきだよ、おばあちゃん」 「つきよのみみずく」 「エリカ:奇跡の命」 などの絵本の紹介と意味づけが次々と続いた。たくさんあって全部を紹介できません。2時間半、講師は立ちっぱなし、休憩なしのお話でした。

柳田先生の呼びかけ

アタッチメント(抱きしめる)と 絵本読み聞かせの意義を繰り返し強調されて、子どもに命の大切さを伝えようと話されました。私たちに実践を勧めると共に、いくつかの紹介例から、興味を持って多くの絵本を読み、自らの知識の蓄積を増やすように呼びかけた、というように、私は先生のお話を解釈しました。

講演会の司会

名古屋の南生協病院の青山先生が司会されました。永井照代さんの推薦で、講演会後半に、この病院の紹介などが予定されていたのでしょうが、柳田先生が長く話されたので、時間がなくなってしまったようです。緩和ケア病棟が、充実しているとのことです。この病院が独自に作成して使っているリビングウイルの書式をくださいました。硬くるしさを出来る限り除いたものです。



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