あいちホスピス研究会 2009年公開講座 第5

「病みながら老いる時代を生きる」 講師 吉武輝子氏
   

              
2009 July18  
河野悠子

私は30年来病気のデパートのオーナーをしています。膠原病のシェーグレン症候群という、涙、唾液、関節等に必要な水がなくなって身体が砂漠になる病気です。呼吸器から空気が漏れて右肺全廃、左肺1/3のみ、しかもその左肺も肺気腫です。ステロイドでムーンフェイスでしたが、今は落ち着いてステロイド6mgまでさがっていますが、副作用のため今日はひどい口内炎、お聞き苦しかったら許してね。(どうして、朗々と迫力満点の美声)

「お願いだから命を大切にしてください!」とお医者様からいわれて退院した直後に参院選で暴れて北海道−東京を飛行機で往復していたら、肺気腫の肺にカリニ菌がいっぱいに増殖してしまって40度の高熱、気が付いたら娘(看護師長)の病院の集中治療室でした。

大分での講演会はボランティア団体の気持ちに惚れこんで「這ってでもいく」とごねたら、主治医に「酸素ボンベを持って行くなら」と許可されました。ボランティアのみなさんは地味にしこしこ活動してらっしゃるのに、講演会に講師が来なかったら地域で信用を失ってその後の活動に差し障るでしょ。話はアメリカでの国際会議に飛ぶけど、酸素ボンベの飛行機申請を取るのはそれはそれは大変なの。爆発物はテロ対策の対象でしょ。でも大丈夫!ホテルに着く時間を連絡しておくと到着にあわせて部屋用の酸素ボンベをちゃんと用意してくれてるから。「それは吉武さんが金持ちだから出来るのよ。」と人はいうけどNO−ちがいます。新進気鋭の後期高齢者である私はボンベを何本使おうと月9000円でOK。ところが医療費切り捨て時代の医療制度では600点とか700点とかの持ち点を超えた部分が実費で月13万円になるのよ。歳を取るほど病気が重なって点数超過するのは必至でしょ。これからはアメリカ式に助かるのは金持ちだけ、貧乏人は死ねってことね。私は可愛い老人になるつもりはありません。見事に切れる年寄りになる!みなさんも正しい知識をもってしっかり抗議してください。

血中酸素が低下して狭心症をおこしたときのこと。苦しくて 苦しくて、救急の電話もかけられないで「人間ってホント孤独なんだな〜」孤独死を不幸のかたまりみたいにいうけどこれは悲劇じゃなくて人間の自然なんだ。何日も発見されない孤立死とは違う。ICUのベッドで意識が戻った時、「アー助かった」と喜んだその直後、何とも知れない孤独感に。

だって、誰一人として一緒に死のうと言ってくれない。代わってやろうともいってくれない。人間というものは死ぬも一人、残るも一人の孤独な存在なんだなーと。もし社会復帰できたら、この孤独感を自分の言動で深めることだけはやめよう! 存在として孤独な人間同士、いたわりあって生きる暮らしを再生しよう!・・・と決心しました。2000年に夫が急死するまでの5年間、この再生期間があったから、死別の後にあまり自分を責めることがなかったように思います。

大分での講演会に話をもどそう。その時、与えられた演題は「美しく老いる」 この演題に鼻の酸素チューブはそぐわないけど、チューブなしで講演してCo2中毒や狭心症発作で倒れたらそれこそまわりに迷惑。よし!度胸をきめて、派手な腿までスリットのあるチャイナドレスを着て、チューブをぶんまわしぶんまわし、豪華にあかるくいこう!事務的でイカさない携帯用ボンベはデザイナーに頼んで素敵にアクセサリー化しちゃおう!

「見て見て!きれいでしょ。これ、2回も仮縫いしたのよ。」(このとき初めてクルっと正面に向けられたボンベのコスチュームの美しいこと! (会場いっぱいに拍手と歓声)

「病気があっても病人にはならない」がモットーの私。背骨を伸ばして早足の大股で「どうだ!」と鏡に聞くと「いいね。似合うよ!」と応えてくれた。「よし!これでいこう!」

講演会は大成功。司会者のボンベ生活ひきこもり母上が、私をまねて出かけられるようになったとか。私は感動して泣いちゃいました。

「30年来の病気のデパートのオーナー」としての社訓4ケ条

第1条  おしゃれは徹底的に。

70歳からがおしゃれの旬。赤とか青とかショキングピンクとか。若い人と違って老人は中身と競合しないからフリフリだって何だって良く似合う。おしゃれに関しては素直になった方がいい。頑固に「似合うはずがない」などと決めつけず、表現する自己を持っている存在をアピールする。

第2条  ハードルを少し高めにこと。

69歳で歌手デビュウ(神楽坂女性合唱団) 
73歳でミュージックベル奏者

腹式呼吸法の書道入門 俳句入門 78歳で絵本作家

人生後半は自己を表現する手立てを。
一息で吐きながら円を書く複式方の書道の薦め。

黄昏時の腹式呼吸散歩の薦め。(昼間はちょっとやばい顔つきだから)

褒められたらおだてには乗ってみる。褒められると元気がでるから。

慶応の学生時代、演劇でヒロインを演じていきなり新人賞をとったことがある。岸田今日子さんの父上に才能があると褒められて文学座研究生に。人生長くなると何でも後からかならず刈り入れの時が来るものです 。(肺がなくでも腹で呼吸できている。)

古林かつ代さんから真夜中の電話で「神楽坂女性合唱団」結成の勧誘。プリマは土井孝子 松たか子 倍賞智恵子その他。私はミッションスクールのハレルヤ以来50年の錆びた声帯をボイストレーニングに3週間通って、錆び落としをしてから参加した。

人生100年の時代です。人生50年時代の母たちには望めなかった補助器具(めがね、・補聴器,ボンベ・・・)の助けも借りて、おまけの人生を他のために役立てて生きよう。みなさんもどうか人にやさしく長生きしてくださいね。

私はある大学の常勤講師をしたことがある。13回の講義に服もアクセサリーもまいどまいど取りかえて出かけた。表現する自己をもっている存在だということを分ってほしいと思ったから。あとで学生のノートを覗いたら極彩色のファッションイラストが13頁だけ。思いが通じたことが嬉しかった。「先生、人間には賞味期限は無いのですね。」ときたから「当たり前でしょ! 70〜80代が人間の旬の時代です!」と答えた。

 

第3条 「先に目覚めた者は遅れて目覚める者を待つ義務がある」

歳を重ねるにつれて疎ましくなってきた夫とも、孤独な人間同士として労わりあう暮らしの再生ができた。どんなに趣味の悪いネクタイを夫が買ってきても「あら、意外といいじゃない」 酔っ払って、私が5年も着つづけている服を「輝ちゃん、その洋服いいねえ、似合うよ。」合唱団のディナーコンサートにきてくれた娘は「輝子さんが一番楽しそうに歌っていたのをみて、少子化時代の介護プレッシャーから開放されたわ。ありがとう」

「最晩年を楽しく生きる」-−これぞ若い者への大人のプレゼントなのである。 
実妹の一人っ子は重度の聴覚障害児。まっ平らに生きてもいいけれど、妹は山あり谷ありの道を苦しんで苦しんで切り開いてたどりついたのが俳句の道。友達を誘って句会を始めた。「句会は7人がいいのに一人足りないのよ。輝子さん入ってくれない? 物書きの輝子さんならいい句が出来ると思うわ」おだてられては断れない。

俳句は見るから観るへの転換。 立ち止まって見上げた空に鰯雲が遊んでいた。自分の視野が広がったと言える。 以前は息の長い文章を書いていたが完結な文体に変わった。その方が読み手の心に入る。結論―何でもやらないよりやったほうがいい。

豊かな個別的能力を持ちながら 主婦、母、おばあさんだけで終ってしまった人生50年時代とは今は違う。どうやったら自分の才能の花が咲くか?・それにはまず「おだてられたら乗ってみる」 すると、自分ながらまんざらじゃないねえと思えるから。胸張って背骨を伸ばして「病気になっても病人にはならない!」これが私のモットー。

お医者様とはいい関係を結ぶこと。大腸がんを4か所とって頂いた先生とは仲良くしています。3か月検診をきちんと。「はずれ」ではなく、「当たり」のホームドクターを持つことです。私は心臓系が弱いから全身麻酔が出来ない。また癌になったらどうしようと不安を掻きたてるより、なったらその時のこと。運がわるけりゃ「さよなら」ハイそれまでよと度胸を決めた生き方が大事でしょう。

 

第4条  自分が役に立つ場所へ出かけていく。

今日も気合を入れて名古屋にやて来ました。私の話を聞いて「生きてるって悪くないね。 まんざらでもないね。」と思ってくださる方があれば嬉しい。

長生きは友情の証しです。やり残したことをぐちゅぐちゅ言うよりは、長生きして豊かな個別的能力を花開かせましょう。

(おわりに)真紅のドレスとやはり真紅のフリルの華やかなケープに身をつつみ、豪華なコスチュームの酸素ボンベをポチのように連れて、壇上を歩き回りながらの精力的な2時間半の講演でした。そのバイタリティーに圧倒され、歳をとるのも病気になるのも怖くないと思えてきました。意気揚々と勇気をもらって家路につきました。(河野) 





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