天空への文
そらへのふみ
天空への文
山吹、瑠璃色、薄紫、練色、今様、浅緑。それとも白、薄紅、薄萌黄?
色とりどりの紙が文机に並べられる。
「神子様はどの色がお好きかしら・・・?」
紫はひとつひとつ紙を手に取っては考え、文机に戻す。思い悩んだ末、選んだのは白。
文を書く準備をしながら神子と過ごした日々に思いを馳せる。異世界から召喚された伝説の龍神の神子。
星の一族として力不足の自分を明るく優しい太陽のような笑顔で導いてくれた。
不安に押しつぶされそうになり、足元ばかり見ていた自分に世界の美しさを教えてくれた。
何よりもこの京を滅びから救ってくれた。
想い出は色あせることなく紫の胸の中に残っている。
伝えたい事はたくさんあった。今の京の様子、八葉をはじめとする関わった方々のそれからのこと、
そして自分のことも。
なかなかうまく言葉にならなくて何度も筆を置き、また持ち直しては書き綴る。
間もなく書きあがろうかという頃、軽やかな足音が御簾の前で止まった。
「紫、入ってもよいか?」
「まあ、兄様。どうぞお入りください」
深苑が御簾をくぐって部屋に入ってくる。腕には見事に花をつけた桜が一枝。
「済まない、少し遅くなったな」
「いえ。それよりも見事な桜ですわね」
「ああ。内裏で偶然彰紋様にお会いして少し話をしていた。
そのときそなたの話題が出て、今回のことを話したらこの枝をくださった」
「まあ、嬉しいことですわ。兄様、彰紋様にお会いしたらよくお礼を申し上げてくださいませ」
「もちろんだ」
深苑が微笑む。童殿上で内裏に上がるようになってからすっかり大人びた表情を見せるようになった。
仕事が忙しいだろうに、それでもこうして気に掛けてくれるのは以前と変わりがなくて嬉しい。
「紫、準備はできたのか?」
「申し訳ありません、もう少しだけ」
急いで残りを書き上げる。間違いがないか読み直して折りたたみ、
深苑が持ってきた桜の枝に丁寧に結びつけた。
「兄様、お待たせ致しました」
「では、参ろうか」
「はい」
二人は牛車に乗り屋敷を出る。太陽が西に傾き夕闇の迫る頃、向った先は神泉苑。
水面は紅く輝いていた。時折吹く風が水面に映った太陽を揺らし、持っている桜の枝をかすめてゆく。
水辺に立った二人はしばらく無言でその美しい風景を見ていた。
「美しい眺めだな」
深苑が呟く。
「こうしていると京が滅びに向っていたのが嘘のように思えてしまう。龍神の神子は幻ではなかったのかと」
「神子様は幻などではありません」
「ああ。我らはそれを知っている。だから紫、後世に伝えてゆこう。
百年前に降臨した神子のように、我らの神子を」
星の一族の末裔として。
「神子様。神子様が救ってくださった京はこうして花も咲き、美しい春を迎えました。
すべて神子様のおかげです。ありがとうございます」
あなたが私にくださった、一緒に過ごした時間、前を見つめて歩き出す勇気、そしてこの美しい世界。
きっと大切にします。
枝を抱きしめた腕に深苑の手が添えられる。視線が合うと小さくうなづいた。
「心配せずとも紫の想いはきっと神子に届くはずだ」
「はい、兄様」
「風が冷たくなってきた。そろそろ館へ戻ろう」
「では兄様、これを」
紫は桜の枝を渡す。
「神子、本当に感謝している。だから我らも神子に恥じない生き方をしよう」
深苑は桜を神泉苑へ投げ入れる。
桜の枝は水面に映った太陽へ吸い込まれるように流れてゆき、見えなくなった。
二人は茜色に染まった空を見上げた。太陽が二つの世界を橋渡ししてくれたのだ。
紫はそう思った。
決して神子に読まれることのない文なのだとしても、この想いは神子に届くだろう。
きっとどこかでつながっているこの天空から。
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