二人の距離
二人の距離




 

香穂子はぼんやりと校内を歩いていた。特にやることもない。早く帰ればいいものの、家に帰りたくない気分だった。
それで何をするでもなく校内をぶらぶらしていた。
森の広場まできて、香穂子は足をとめた。視線の先にあるベンチに座る人影。
逢いたいけれど、学校で一番会いたくない、とても大切な人。
あちらはまだ香穂子に気付いていない。このまま気付かなかったことにして立ち去ってしまおうか。
そんなことを考えていたら、気付かれてしまった。
「よぉ。お前さんか、日野」
「……金澤先生……」
名前ではなく、苗字で呼ばれて寂しさがつのる。だから学校では会いたくなかった。
「学校」という場所では二人の関係は秘密だ。だから教師と生徒という関係でしか会えないのだ。
「座ったらどうだ?」
金澤に促されて香穂子はベンチに腰をおろす。
人ひとり分のスペースをあけて。それが、学校での二人の距離だ。
しばらく、そのまま黙っていた。
せめてもう少し近づければ、それだけで幸せな気持ちになれるのに。
「何か悩み事か?」
「別に……ただ、早く大人になりたいなって思っただけです」
学校を卒業してしまえば教師と生徒という関係ではなくなる。人目をはばかることなく堂々と恋人として彼の横にいられる。
なのに、卒業までは一年以上待たなくてはならない。
いっそ学校を辞めるとか、転校することも考えた。けれど、たとえ恋人でいられなくても少しでもそばにいたい。
彼のもとを離れるなんて、できない。
矛盾する気持ちを抱えて、身動きできなくなる。結局まわりに秘密にしながら関係を続けていくしかないのだ。
そうすることを望んだのは、自分自身。今更泣き言なんて言えない。
「お前さん、何をあせってるんだ?」
「別に、あせってなんか」
「そうか?俺の目には十分あせってるように見えるぞ」
今の自分は金澤の目にはどう映っているのだろう。それが気になった。
「そうだなぁ……久しぶりにエサにありついたノラ猫みたいだ」
「どういう意味ですか?」
「目の前のことに夢中で、周りが見えてない」
自分の場合、エサというのが、金澤のことなのだろうか。
「俺のことを、好きだって言ってくれる気持ちはありがたい。
だけどな、高校生活っていうのは、3年しかないんだぞ?もっと楽しめ」
「でも、私は紘人さんと……」
少しでも長く、一緒にいたいのに。
思わず金澤のことを名前で呼んでしまい、香穂子はあわてて周りを見まわす。あたりに人影はない。
誰にも聞かれていないようで、ほっと胸をなでおろす。
香穂子、と小さな声で金澤が呼ぶ。
「俺はな。お前さんの気持ちを受け入れたときから、待つって決めたんだよ。
ちゃんと卒業するまで、待っててやる。だから心配するな」
ゆっくり、大人になればいい。そう金澤は言ってくれる。
「紘人さん……」
ずっと怖かった。金澤が離れていってしまいそうで。
彼は大人で、自分はまだまだ子どもだ。大人になれるまで、時間がかかる。
待たせてしまうことが、不安だった。
ふと、金澤が香穂子の肩に腕をまわす。そのまま引き寄せられた。
「今だけこうしてやるよ。二人だけの、秘密だ」
香穂子は金澤の肩にもたれかかる。かすかにタバコの匂いがした。
優しい腕に抱きしめられて、胸に巣くっていた不安が消えていく。
香穂子はそっと瞳を閉じた。



戻る