絆
絆
久しぶりに戻ってきた雪見御所は、己の記憶と変わらぬ姿でひっそりとたたずんでいた。
御所を離れていくらも経っていないというのに、妙に懐かしい。そんな気がした。
「よぉ。お帰り、経正」
ふいに声をかけられて足を止めた。声のしたほうを見ると、知盛が酒を片手に階に座っている。
鎧をはずし、ずいぶんとくつろいだ様子だ。
「知盛殿。ご無事でなによりでした。このようなところで何を?」
「酒を飲んでるんだよ。いい月じゃないか」
見上げれば夜空には大きな銀盤が輝いている。しかし、酒を飲むにしても、何故この場所なのだろうか。
「月を肴に酒を飲まれるのでしたら他にもっとよい場所がございましょうに、何故私の部屋の前で」
「・・・・・・待っていたんだよ、経正。死せぬ一族となって戻ってくる、お前を」
「知盛殿・・・・・・」
経正は先の、倶利伽羅峠でおこった木曾との戦の最中、敵兵の手にかかり命を落した。
しかし先に復活を遂げていた伯父、清盛の手によって再び戻ってきたのだ。死せぬ一族―怨霊となって。
死んだもの全てが怨霊となり、復活するわけではない。
未練を残し死んだ者、生に執着する者が、その身を変え、舞い戻ってくるのだ。
「お前はあの時、死ぬまで敦盛の名を呼んでいた。それほどまでに弟が心配か?」
弟、敦盛。
父、経盛の手により己の意思とは関係なく怨霊とされてしまった、不憫な弟。
ふと、あの夜を思い出す。倶利伽羅に出陣する前に、敦盛の笛と自分の琵琶をあわせた、あの音色を。
「兄弟とは・・・・・兄とはそういうものなのか・・・・・・」
知盛は呟く。
弟のことが心配で、怨霊となって戻ってくる。それほどまでに兄弟の絆とは深いものなのか、と。
「それは・・・小松内府・・・・重盛殿のことですか?」
知盛にとっては腹違いの兄である。
清盛の期待を一身に受け、平家の次期総領として期待されていた、兄、重盛。
清盛となにかと対立することも多かったが、一門の行く末を一番案じていた。
けれども、重盛はすでにいない。
一族の中でも小松内府の復活を望む声は大きい。
しかし怨霊として復活させようと清盛が何度も呼びかけたが、ついには戻ってこなかったと聞く。
ところが、重盛は戻ってきた、と清盛は言う。似てはいたが重盛ではない男を指して。
偶然保護した奇妙な青年。今では還内府と呼ばれ、一門を率いている。
「やはり、知盛殿も小松内府殿に戻ってきていただきたいのですか?」
重い沈黙。知盛は黙って酒を煽る。
沈黙に耐えかね、経正が謝ろうと口を開きかけたとき、知盛は呟くように言った。
「いまさらだ」
知盛は飲み干した杯を見つめたまま微動だにしない。
「重盛兄上が戻ってこられたところで、何も変わりはしない。むしろ、居られぬほうがよいのだろう」
「知盛殿・・・・・・」
再び沈黙があたりを支配する。先程よりも、さらに重い。沈黙を破ったのは、足音。
迷いのない力強い足音が近づいてくる。
「知盛、そこにいるのか?」
明かりに照らし出されたのは、還内府と呼ばれる青年。
「これはこれは。重盛兄上」
「その呼び方、やめろっていってんだろ?清盛が呼んでるぞ」
「父上が?わかったよ」
ふらり、と立ちあがると手にしていた酒瓶を経正に押しつけ、御所の奥へと消えていった。
還内府は、経正を見ると、安堵とも不安とも言いがたい、何とも言えない表情をした。
「還内府殿。ご無事で何よりでした」
「経正・・・・・・。戻って、来たんだな」
「・・・・・・はい」
還内府はじっと経正を見つめる。
「すまなかった・・・・・・俺にもっと力があれば・・・・・・」
蘇ってから、自分の死を一番悼んでくれたのは自分と血のつながりのない、この青年だと聞いた。
どちらかといえば風雅を好み、戦を嫌い源氏との和平を望む、平家らしからぬ自分を。
「もう、よいのです。こうして戻ってきた以上、私に出来ることをするまでです」
「経正、これからもよろしくな」
還内府は右手を差し出す。経正は迷う事なく、その手をとった。
「はい」
もう、迷いはない。迷うとこなど、ない。自分と同じ思いを抱いている人がいる限り。
これ以上自分と同じ哀れなものを生み出さないために、力をつくす。
再び還る、その時まで。
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