風の歌
風の歌
テーブルの上に置いてあるティーカップは1つだけ中身が残ったままになっている。
カップを眺めながらアンジェリークはそっとため息をついた。
ほどなくしてジェイドが2階から降りてくる。
「もう少しかかるから、後にするって」
「そうですか。レインったらお昼も食べてないのに。大丈夫なのかしら」
昨日ファリアンの依頼から戻ってきてから、レインはずっと自室に籠っている。
アーティファクトを購入してきたから研究に熱中しているのだろう。
今日の昼食もいらないと言っていたので、せめてお茶くらいは、と思ったのに。
お茶を淹れてすぐにレインを呼びにいったのだが、後でいいと言ったきり返事がなかった。
しばらく待ってジェイドに頼んで呼びに言ってもらったのだが、やはり答えは
同じだったようだ。
研究に熱中するのはいい。楽しそうにアーティファクトを調べているレインを見るのは好きだ。
でもレインにはもっと身体のことを考えて欲しかった。
このままではいつか倒れてしまいかねない。
「もう少ししたら俺がなにか温かいものを作って持っていくよ。だからそんなに心配そうな
顔をしないで、アンジェリーク」
「ありがとうございます、ジェイドさん」
カップから階段に視線を移すと、ちょうどレインが2階から降りてくるところだった。
「あっ、レイン!お昼も食べないで、身体に良くないじゃ・・・」
「アンジェリーク、一緒に来てくれ!」
立ち上がったところでレインに腕をとられた。そのまま屋敷の外へでるように促される。
「ちょっと待って、レイン。どこへ行くの?」
「来ればわかる。お前に見せたいものがあるんだ」
サルーンを振り返るとジィエドが微笑みながら手を振っていた。
「いってらっしゃい。気をつけてね」
「ああ、ちょっと出かけてくる」
レインに手を引かれるままに歩き、たどり着いたのは風舞の峰だった。
空は茜色に染まり、耳を掠めていく風の音は心なしか寂しそうだ。
ようやくレインが手を離してくれる。
「レイン、見せたいものって何なの?」
「ああ、ちょっと待ってくれ。今、準備するから」
レインはポケットの中から綺麗な青い色をした箱を取り出した。手のひらよりも
ほんの少し大きい。上部が丸くなっていて、横には開閉できる扉のようなものがついている。
「それって昨日マーケットで買ってきたアーティファクトよね?それが見せたいものなの?」
「ああ、そうだ。ちょっと静かにしててくれ」
レインは両横についている扉を開けた。そして広げた手のひらの上に
アーティファクトを乗せる。
ゆるやかな風が通り過ぎた。
「・・・・・音が聞こえる」
優しい音色だった。アーティファクトが透明な旋律を奏でている。
「・・・綺麗」
目の前に広がっている夕焼けのような曲だ、とアンジェリークは思った。
あたたかくて、綺麗で、包み込むような優しさがあって。
そしてほんの少しの切なさが混じっている。
「このアーティファクトには使い方が書かれた古文書がついていたんだ」
古文書を解読したら、このアーティファクトが風を中に通すことで音が鳴るものだということが
わかったのだという。
「風と夕日をモチーフにした曲なんだそうだ」
「とても素敵な曲ね」
「ああ、どうしてもお前とここで夕日を見ながら聴きたかったんだ。・・・・迷惑だったか?」
そう問いかけてくるレインの頬がかすかに赤かった。
そう見えるのは夕日のせいだけではないはずだ。
「ううん、そんなことないわ。ありがとう、レイン」
「・・・お前が喜んでくれてよかった」
空いている手が伸ばされて、アンジェリークの手に触れる。握り返すとそっと引き寄せられた。
繋がっている手のひらがとても温かい。
「もうひとつ、俺の頼みを聞いてくれないか?」
「何?」
「・・・また、ここで一緒にこの曲を聴いてほしいんだ」
アンジェリークはそっと瞳を閉じた。
手のひらから伝わってくるレインの心もこの音色のように優しくて心地よい。
アーティファクトからは途切れることなく旋律が流れている。
「もちろん。また一緒に聴きたいわ」
アンジェリークは旋律に乗せてそっと願いを込めた。
2人の想いがこの曲のようにずっと続くことを。
戻る