かさなる想い
かさなる想い




 ぱたん、と扉のしまる音が、やけに大きく響いた気がした。
それだけ、この部屋は静寂に満ちている。
 月森は練習室に入ると大きな溜め息をついた。まわりの雑音が消え、ほっとした。
鞄と楽器ケースを置くと、ピアノの椅子に腰掛ける。
 再び大きな溜め息。
 第3セレクションはもう目前。練習しなければならないことはわかっている。
しかし集中できない自分がいる。
 耳の奥で響く音が集中力を妨げている。不快な音ではない。むしろ、心地よい響き。
 気がつけばさがしている。彼女の演奏する姿を。知らないうちにひきこまれている。
彼女の奏でる音の世界に。
 それこそ、自分の演奏に影響するほど、強く。
 まわりから「音がかわった」と冷やかされるのが嫌で、逃げるように練習室に来てしまう。
 なにから逃げているのだろう。周囲の人間からなのか、それとも彼女の奏でる音からだろうか。
 彼女の音がもっと聞きたくて渡した楽譜。コンクールで使う事はできないけれど。
どうせ渡すのならば、コンクールで使えるものを渡した方がよかったのだろうか。
 しかし、と月森は思う。
 コンクールが終わっても、彼女の音が聞きたい。だから、使えない楽譜を渡したのか。
今の自分と彼女との間には、同じコンクールの参加者というつながりしかない。他の参加者と同じ。
それ以上のつながりが欲しかったのかもしれない。
 彼女に渡したのは自分の好きな、そして随分と練習したお気に入りの二重奏。
 新しい楽譜を用意してから渡してもよかったはずだ。
用意する時間すら惜しくて、自分の使っていたものを渡した。
すこしても早く、少しでも多く自分のことを知って欲しかったから。
 月森は立ちあがり、のびをする。軽く頭を振って迷走する思考を追い払う。
 今はそんなことを考えている場合ではない。
セレクションにむけて練習しなければならないのだから。
 気分を変えようと窓をあける。静寂をやぶって数々の音が飛びこんでくる。
トランペット、ピアノ、クラリネット、フルート、チェロ……そして、ヴァイオリン。
 姿を見なくてもわかる。奏でているのは彼女だ。
「この曲は……」
 間違いない。先日渡した二重奏だ。コンクールには使えないとわかっていても、練習してくれているのだ。
『いつでも、君の音を待っている』
 そう告げたあの日。彼女と音を重ねる日はもっと先になると思っていた。
「……待っていると言ったのに。待っていられないかもしれないな……」
 楽器を手にすると、聞えてくる音に自分の音を重ねる。
 俺の音は、俺の気持ちは、彼女に届くだろうか。
 月森はヴァイオリンを弾く腕をとめ、ふと思う。
 届かなければ、届けに行こうか。
 次に彼女に逢ったらこう言おう。
 俺と一曲あわせてくれないか、と。



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