往く道を照らす光
往く道を照らす光




  穏やかな海だった。
  波も緩やかで、時折吹く風も頬をゆるやかになでていくだけ。
 天気も申し分にないほど晴れ渡っているのに心の中は嵐が渦巻いている。
 壇ノ浦での決戦が今始まろうとしていた。


 壇ノ浦で戦が始まってからもう数刻が過ぎた。源九郎義経率いる源氏軍の勢いは 衰えることを知らず、平家軍は後退を余儀なくされている。  経正は内心の焦りを必死に抑えながら、戦の指揮を取っていた。寄せてくる源氏軍を押し返し、 味方が少しでも多く逃げ延びられるように必死で食い止める。 「御座船に源氏軍を近づけるな!我々の手で帝をお守りするのだ!」  張り上げた経正の声に呼応して船のあちこちから兵士たちの声が上がった。 皆激しい戦で疲れているだろうに、歯を食いしばって戦っている。ここで源氏軍を食い止められなかったら 平家の敗北だ。これ以上の戦いは避けたい。 なんとしてもこの戦で、長かった源氏との戦いに終止符を打ちたかった。  源氏軍から鬨の声があがった。味方の軍の一角が崩され、少数の源氏の船が 御座船へと向かっていくのが見えた。  経正は近づく源氏軍を減らすために、陣形を整える。何とか多数の船が近づくことは 防ぐことができたが、足の速い船に数隻抜けられてしまった。  焦ってはいけない。経正は何度も自分に言い聞かせた。 ここで焦って無茶な行動をすれば平家の軍は総崩れになってしまう。  御座船には知盛殿がいる。還内府殿がいる。彼らは自分よりも優秀な将だ。 絶対に源氏軍を撃退してくれる。自分に今できるのは彼らの負担を少しでも減らすために ここで源氏軍を食い止めることだ。  さらに大きな声が上がった。白い旗が高々と掲げられ、源氏軍が勝ち鬨の声を上げている。 「まさか」  信じたくなかった。  御座船から源氏軍の船が離れた。それを合図とするように、他の船も移動していった。 「こちらも撤退する」  すぐにでも御座船に駆けつけたかったが、経正はその気持ちをぐっとこらえて 源氏軍の様子を伺いながら、指示を出していった。破損の大きい船から順に撤退させる。 ひとりでも多くの兵を生き延びさせろ。それがこの戦の前に還内府殿から受けた命令だ。  途中、源氏軍の内部で何かが起こったのか、一部で陣形が乱れた。 兵の中にはこの隙をついて攻撃を仕掛けようと進言してくるものもいたが、経正はそれを却下した。  平家は敗北したのだ。

 御座船の上に見慣れた後姿をいくつも見つけて経正は詰めていた息を吐き出した。  経正の考えていた最悪の事態にはなっていない。源氏軍をあそこまで近くに寄せながら 帝も尼御前も無事だった。守りぬいてくれた。これも還内府の力なのかと改めて敬服する。 「還内府殿、ご無事でしたか」  うなだれていた青年が振り返った。 「経正か。戻ってきてくれてよかった」  堅い表情のままの還内府。長い沈黙の後、深いため息をついた。 「俺も無様だな。みんなを守ると言っておきながら、このザマだ」 「何をおっしゃいます。こうして貴方も、帝も無事たったではありませんか」 将臣は自嘲の笑みを浮かべる。 「みんなを助けられたのは俺が還内府だったからじゃない。俺が有川将臣だったからだ」 「還内府殿?」 「俺があいつの・・・・白龍の神子の八葉だったからさ」  白龍の神子。それはすなわち源氏の神子のことだ。 「経正。以前、お前の弟の敦盛が俺の信頼しているやつのそばにいるって言ったよな」 「はい。貴方と同じ世界から来られた方だと」 「そいつが・・・・望美が、源氏の神子だったんだ」  経正は三草川の戦を思い出した。まっすぐな瞳を持った不思議な少女。敵将である自分の言葉に 真摯に耳を傾け、戦うことなく兵を引いてくれた源氏の神子。 将臣が時々話してくれた幼馴染とは彼女のことだったのか。 「情けねぇな。結局、還内府としてはお前たちを救ってやることができなかった」 「いいえ、貴方が救ってくださったのです。改めてお礼申し上げます」  経正は深々と頭を下げる。彼がいなかったら平家はここまで落ち延びることはできなかった。 彼自身は平家とは何のゆかりもないのに。  帝がいる、尼御前がいる。生き残った平家の武士たちがいる。 「我々にはまだやるべきことがあります。そうでしょう?」  経正の言葉に将臣が顔を上げた。還内府としての表情を取り戻しつつあった。 「そうだな。負傷している兵の手当てを。準備を整えたら西へ移動する。経正、指揮を任せていいか。 俺は尼御前と話をしてくる」 「御意」  経正はまっすぐ伸ばされた将臣の背中に再度頭を下げた。

 日が落ちかけた頃、源氏軍の様子を伺いに出ていた兵がひとつの情報を持って戻ってきた。 「なんだって?望美たちが?!」  将臣が兵に掴みかかった。  源氏軍の総大将であった九郎義経と源氏の神子、そしてその仲間が平家を逃がした罪で 鎌倉方に捕らえられたというのだ。 「くそっ、頼朝め」  乱暴に手を離し、兵に短い侘びの言葉を言う。 「・・・・俺を助けたせいであいつらが危険にさらされるのか」  苦しげに吐き出される言葉。表情も厳しい。  白龍の神子の仲間には彼の弟もいるそうだ。もちろん経正の弟の敦盛も。  おそらくこのまま鎌倉へ送られてしまえば、白龍の神子とその仲間は頼朝によって 処刑されてしまうだろう。それは経正にも予測がついた。 「あいつらはこの戦の功労者のはずだ。 なのに・・・源氏側にいればあいつらは無事だと思ったからこそ、行かせたのに」  平家を守ると決めた心。  幼馴染を、仲間を守りたいと想う心。  将臣がふたつの強い想いの中で身を引き裂かれそうになっているのが、経正にも良く解った。 「還内府殿・・・・いえ、将臣殿」  今から自分が言おうとしていることは他の平家の者にとっては裏切りになるのかもしれない。 しかし経正は言わずにはいられなかった。 「将臣殿、貴方は白龍の神子を守る八葉ではなかったのですか」 「経正」 「将臣殿にはなすべきことがあるのではないのですか」  迷っている将臣の背を押してやるのは自分の役目だ。 「貴方がお戻りになるまでは、私が平家を守りましょう」  将臣が顔を上げた。 「すまない、経正。俺は必ず戻ってくる。それまで頼む」 「はい。無事のお帰りをお待ちいたしております、還内府殿」  彼ならば、彼と白龍の神子ならば新しい源氏と平家の関係を築くことができるのかもしれない。 経正はそう思った。だから将臣を行かせたのだ。 彼らの想いは今は頼りない、小さな灯火かもしれない。 しかしいずれは大きな光となるばずだ。 この先進む道を明るく照らす太陽のような大きな光に。





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