ハーモニー
ハーモニー



 全体的にやさしい感じで、このフレーズはゆっくりと音がすべらないように。
ここは強めで、こちらは弱く。最後の音は余韻を残して。
「うん、いい感じに仕上がってきたね」
 王崎が笑顔で拍手をしてくれた。
 コンクールも後半にさしかかり、第3セレクションが目前に迫っている。
今日は休日で天気も良かったので、約束どおり公園で王崎に練習に付き合ってもらっていた。
「香穂ちゃん、少し休憩しようか。俺が飲み物を買ってくるからちょっとここで待ってて」
 香穂子はヴァイオリンを肩から下ろした。
 王崎は公園の入り口へ向かっていく。香穂子は小さくため息をついて近くのベンチに座った。
 じっと楽譜を見つめる。
 さっきの演奏、何かが違う気がする。
 それが何なのかはっきりわからない。でも何かが足りないような感じがするのだ。
「ダメだなぁ、こんなのじゃ」
 天気が良いせいか、公園には人がたくさんいた。子どももたくさんいる。
 人ごみから手にカバンを持った小さな少女がこちらへ向かって走ってきた。
「こんにちは、おねえちゃん」
「こんにちは」
「おねえちゃんが持ってるのヴァイオリン?わたしも持ってるんだよ」
 少女はケースをベンチに置くとヴァイオリンを取り出した。
「おねえちゃん、さっきヴァイオリン弾いてたでしょ?わたしもなかまに入れて」
 香穂子のものよりも小さなヴァイオリンを構える。
小さな手から奏でられたのはきらきら星。
 少女は多少音がはずれても気にせずに楽しそうにヴァイオリンを弾いている。
 香穂子もヴァイオリンを構えた。少女の演奏に合わせるように音を乗せる。
「たのしいね。次はこれ」
 曲目はかえるの歌になった。輪唱するように少女の音を追いかけていく。
 ヴァイオリンを弾きながら、かえるがぴょこぴょこと飛び跳ねている様子を想像して
香穂子は楽しくなった。
 こんな気分でヴァイオリンを弾くのは久しぶりだ。
 弾き終わると同時に拍手が聴こえた。
「王崎先輩」
 そこにいたのは飲み物を買いに行った王崎だ。
「いい演奏を聴かせてもらったよ、ありがとう」
 少女が照れたように笑う。
「はい、これ。素敵な曲を聴かせてくれたお礼だよ」
 王崎が缶ジュースを1本少女に差し出した。
「ありがとう、おにいちゃん」
「はい、香穂ちゃんにも」
 手渡された缶はひんやりとしていて気持ちが良かった。
「いっしょに弾くと楽しいね。ね、おねえちゃん」
「そうだね、私も楽しかったよ」
 そうか、と香穂子は思った。
 足りないと感じていたもの。それは楽しいと思う気持ちだ。
セレクションのテーマや選曲、練習に追われていて忘れていた、心。
 今ならいい演奏ができる気がする。
 香穂子はヴァイオリンを構えた。
まだまだ戸惑うことも多いけれど、ヴァイオリンを弾くのは楽しい。
王崎に出会えた。コンクール参加者に出会えた。たくさんのファータたち、そしてこの少女にも。
 この楽しい気持ちを伝えたい。そう思うと音があふれてきた。
 気がついたときには最後の1音。
 王崎から、少女から、周りの聴衆からもらった拍手が本当に嬉しかった。
「わたし、おねえちゃんのヴァイオリン、好きだよ。なんだかあったかい音がするから」
「うん、今の演奏は本当に良かったよ」
「わたし、おねえちゃんみたいに弾けるようにがんばるね」
 公園の入り口の方を見た少女がぴょこんとベンチから立ち上がる。
「あ、おかあさんだ。それじゃあね、おねえちゃん、おにいちゃん」
「うん、一緒に演奏してくれてありがとう」
「またいっしょに弾いてね、約束!」
 少女はにっこり笑って手を振ると母親の元へ走っていった。
「あの子はきっと素敵なヴァイオリニストになるね」
 王崎の言葉に香穂子もうなずく。
「私もそう思います。私あの子から大切なことを教わりましたから」
「大切なこと?」
「ヴァイオリンを弾くことを楽しむこと。音楽を楽しむことを」
 王崎が微笑んだ。
「そうだね。きみが楽しければ聴いている人も楽しい。それはとても大切なことだよ」
 音楽は演奏する人間だけでは成立しない。演奏者と聴衆とが共に楽しむことで「音楽」が
出来上がるのだ。
「王崎先輩、もう1度練習をみてもらえますか?」
「そうだね・・・いや、もしきみさえよかったら何か一緒に演奏しない?」
「はい、もちろん」
 ヴァイオリンを構える。王崎のヴァイオリンから奏でられるのは優しい音色だ。
 重なり合う音色が心地よい。
音色も心も響かせていきたい。これからもこの人と2人で。
 香穂子の心から流れ出す、想い。
 この想いを音色に乗せてみよう。
奏でられるハーモニーはきっとこの想いを伝えてくれるはずだから。






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